春は別れの季節でもある。年齢を重ねてくると、別れ、という言葉にはもう一つの意味もあるが、このところ取引先の方々からリタイアを告げる挨拶状が届くようになった。ある方の挨拶状には、在任中はお世話になりましたと印刷された文面脇に手書きで「ずっと面倒をかけてきた気がします。助けてもらってありがとう」と添え書きがあるのを見て、その方との仕事上のさまざまな局面を思い起こしていた。
彼は生産財メーカーの営業マンで販売網拡大に人生を賭けていた。「会社のためになるならなんだってする!」と酒席でも豪語するほど仕事一辺倒で、その言葉を聞く立場としては、何とかサポートできないものかという気持ちになる。しかし、当時は不況で製品が売れず、企業が交際費はおろか交通費の出費さえも手控えるほどの時節。一介の広告マンにとっては何をどう手伝ったらいいのか途方に暮れるばかりだった。
そこで彼が何をしたかというと、つてをたどって理科系大学の研究室に臨時スタッフとして潜り込むという行動に出た。日中は会社に勤務、出張にも出かけるが、就業後はもちろん、深夜、土日さえも問わず、学生たちと新技術への模索と将来的な商品開発に全精力を注いだ。当時、資料を見せてもらったが、難解で何が書いてあるのかも分からなかった。
数年後、久しぶりに声がかかり大学研究室を訪ねると中央にプロトタイプの製品が鎮座していた。「もしかしたらこれで会社の業績が変わるかもしれない。これをどうやって世間に知らしめたらいい?」。それからは彼と寸暇を惜しまず協議を重ねた。雑誌社への取材依頼はもちろん、無料パブリシティ、全国の企業への手書きDM、体験イベント…、一般の人が手にする製品ではない上、予算をかけられないから、地道な努力を重ねるしかなかった。わざわざ足を運んでもらった方々に彼は自腹で交通費も支払っていたようだ。そんな人がいるのか…、彼の熱意には驚くばかりだった。高度成長期でもあるまいし。
だが、彼との仕事を通じて学んだことは実に多かった。格好いい言い方をすれば、「創造とは悩むことではなく、考えること」、それを教えられる日々だった。時代は移っても、その言葉の本質に変わりはない。今だからこそ声を大きくして伝えたい気もする。「創造とはスマホを見ることである」という、考えない若者たちにも…。
その製品は主力製品となり、今その改良版が市場シェアを広げていると聞く。彼が考えに考え抜いた先にあったのは、紛れもなく達成感だったと思う。