【観光立国・その夢と現実 39】黒川紀章の旅館考 小原健史


 前回は「日本の伝統文化を知ろう」と題し、その延長線で建築家黒川紀章の和風建築の考え方について記した。

 今回は、黒川先生が和多屋タワーを設計する際に温泉旅館の機能性について述べられたことに触れたい。

 黒川先生は、私との設計の協議の中で〔HOTEL―in―CITY〕と〔CITY―in―HOTEL〕の二つの原理を説明されたが、それは、前者は〔街の中の旅館づくり〕、後者は〔旅館の中の街づくり〕である。さらに、その内容は、前者は「嬉野温泉の現在から未来を見据えて、この旅館はどうあるべきか!」ということであり、後者は「この旅館の中の街づくり、つまり居住空間=客室、生産工場=厨房、移動空間(道路)=廊下」などなどである。

 黒川先生は、新館を建設することで、2万坪の敷地に建て増し、建て増しで巨大化してしまった木造の旧館を含み、旅館全体のお客さまやスタッフの動線の効率化を図ろうとされていた。その検証のために、黒川建築事務所の幹部の方と旅館内の動線を全て洗い直したが、この作業は私にとってその後の経営に重要な視点を与えてくれた。

 そのような作業を経て、出来上がった高層棟の12階建てのタワー館と低層棟のロビー、事務所、厨房である。あえて〔高さ〕と〔低さ〕のコントラストを重視されていて、黒川先生が何度にもわたり部下の方々にそのことに指示を出されていた。他にも広々としたロビーの天井を高く見せるために装飾を一切廃して直線の正方形の格天井にし、椅子を極力低く抑えられた。

 また、わが国では、それまでは、横長の中層階の建物の旅館ホテルが多かったと記憶するが、黒川先生は、エレベーターを〔核〕として客室をグルっと巻き付けたような十字型のタワーの客室棟に設計された。この方式はお客さまからは不評が出やすい〔裏部屋〕と〔表部屋〕の格差が発生せず、どの部屋からも、ほぼ同じ距離でエレベーターに乗降できる。さらに、前述のようにスタッフの動く距離も極めて短く効率的になる、まさに良いことづくめであった。

 旅館運営の細かいことに触れるが、その当時は、嬉野温泉の大型旅館では団体のお客さまの予約が主流で、例えば100名の団体の部屋割りは、1室4名で25室になるのだが(現在の1室2名が主流とは隔世の感があるが)その25室のどの部屋も眺望や設備内容や単価は同一で、それまでの旧館の1部屋ごとに異なることから発生するお客さまのクレームは解消した。

 黒川先生については、もう一つ忘れられない思い出がある。設計を依頼してすぐに現地の私の旅館の視察に見えた際に、私やスタッフが館内外を案内する際に、庭や川沿いの館外から館内に戻る際、黒川先生はその都度、丁寧に靴をマットで拭かれ外の汚れを館内に持ち込まれない。また、壁や柱などの建築物に触られる際には誠に丁寧な振る舞いで、数十年前からある私の旅館の建物をいとおしむかのような仕草をされた。

 その日の会食の際に、私が「黒川先生、庭から室内に入る際や建物を触る際に、なぜ、あのように丁寧な動作をされるのですか?」と失礼な質問を飛ばした。先生は、ほほ笑みながら、「小原さん、私は建築家です。建物を作ることを本業にしているのだから、建物を大事に扱うのは当たり前ですよ!」とサラリと言われたことには、参った! やはり、この人はただモノではないと感じた。

 建築界の巨人・黒川紀章が設計した「和多屋タワー」はわが国で初めてのタワー型温泉旅館として昭和52年華々しくオープンしたが、全国各地から多くのお客さまをお迎えするとともにさまざまな分野の方々の視察が相次いだ。

 
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