【日本ふるさと紀行 47】妻沼・俵瀬(埼玉県熊谷市)~初の女医・荻野吟子のふる里 旅行作家 中尾隆之


利根川右岸ののどかな田園地帯

 医大入試で女性不利の採点が幾つかの大学で発覚した。そこで女性が医師になれなかった明治時代、理不尽な厚い壁を打ち破って日本初の女医となった荻野吟子を思って故郷を訪ねた。

 生まれたのは熊谷駅北東の利根川と福川にはさまれた旧妻沼(めぬま)町俵瀬村。利根川を背に生誕之地碑、顕彰碑、吟子像が並び、隣に生家の長屋門を模した木造和風建築の荻野吟子記念館が建っていた。

 吟子(本名ぎん)が俵瀬村の名主の荻野家の5女に生まれたのは、嘉永4年(1851)3月3日。幼い頃から聡明をうたわれた。

 17歳で隣村・上川上村の名主の稲村家の長男と結婚するが、夫に淋病をうつされて離婚。2年の入院体験で婦人科診察の男性医師への羞恥や屈辱から女性医師の必要性を痛感し、強い決意で女医を目指した。

 退院後、妻沼聖天山そばの両宜塾で学び、女子高等師範(お茶の水女子大1期生)を経て、私立医学校・好寿院を優秀な成績で卒業。

 医術開業試験願書は東京都、埼玉県、内務省ですべて却下される。だが34歳の時についに希望が叶い、女性でただ1人合格を果たす。

 湯島(東京都文京区)で医院を開業、本郷教会で洗礼を受け、40歳の時、キリスト教伝道に燃える15歳年下の青年と結婚。のちに夫とともに北海道に移住し、社会運動にも尽くすが、結婚14年、夫が死亡。63年に脳卒中で東京で倒れた。

 愛と苦悩と女医先覚の生涯は昭和45年に渡邊淳一の小説『花埋み』に書かれた。土手に立つと、北海道・瀬棚で倒れた吟子が菜の花と利根川と白い帆船に故郷を回想する場面が浮かぶ。

 三田佳子主演の舞台『命燃えて』で名は広まったが、遠い物語に。だが今年は中学の教科書に登場し、今秋、『一粒の麦~荻野吟子の生涯』(若村麻由美主演)の映画が上映される。

 女医の道を拓いた吟子が花の埋みから起き上がり、麦のように力強く芽吹くことだろう。

(旅行作家)

●荻野吟子記念館TEL048(589)0004

 
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