【日本ふるさと紀行 29】堺・宿院(大阪府堺市)~歌人・与謝野晶子のふるさと 中尾隆之


対外貿易で栄えた自由都市の面影

 
 大阪市の南に隣接する堺は人口83万の政令都市。工業、商業の盛んな大阪府内第2の活気ある町である。

 歴史は仁徳天皇や履中、反正天皇陵などで知られる古墳時代に始まる。室町時代以降は豪商の自治による自由都市として栄え、「東洋のベニス」といわれた。

 その頃から戦前まで街の中心は、大道筋(紀州街道)と南国的なフェニックス通りの交わる宿院界隈。寺院や宿坊が多かったのが地名の由来だが、納屋衆と呼ばれる豪商や商家、職人、鍛冶師らも住み、大いに栄えた。

 その納屋衆の出身に安土桃山時代の茶道の祖・千利休がいる。近くの利休屋敷跡や茶室を復元した博物館・記念館のさかい利晶(利休と晶子)の杜が、郷土の偉人を讃えている。

 晶子はご存じ『みだれ髪』で知られる情熱の歌人・与謝野晶子。大道筋に面した羊羹(ようかん)で有名な和菓子駿河屋の三女に生まれる。本名は鳳(ほう)志よう。3歳まで母方の親族に里子に出され、生家に戻って地元の尋常、高等小学校に学び、堺女学校(現泉陽高校)に通う。病弱な次姉に代わって帳簿付けなど家業に励みつつ詩歌の才も開花する。

 23歳まで暮らした生家跡は電車道になり、一角に「海恋し潮の遠鳴り数えつつ少女となりし父母の家」の歌碑が立っている。

 遊び、学んだ宿院には、自家が菓子屋なのに足を運んだ「けし餅」の小島屋や「大寺餅」の河合堂が今もある。

 大ソテツの妙国寺のそばの母校泉陽高校には日露戦争に出兵した弟を想う「君死にたまふこと勿れ」の歌碑がある。鉄幹と会った覚応寺や浜寺公園などゆかりの地の他、市内には20基を超す歌碑がある。いかにふるさとに愛されているかがよく分かる。

 この宿院や北旅籠町の辺りは戦災を免れたため、晶子が通り抜けてきた、対明貿易による栄華の名残の豪壮な鉄砲鍛冶屋敷や堺刃物の商家、古寺社が今も残っている。

(旅行作家)

 ●堺観光コンベンション協会TEL072(233)5258

 
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