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最近にわかに増えてきた感があるM&Aの打ち合わせ。訪れた後楽園の大型ホテルを後にし、午後の神保町を歩いていたときに漂ってきたカレーの匂い。無性にうまいカレーが食べたくなり久々に「スマトラカレー共栄堂」を訪ねた。
大正13年創業の老舗、小麦粉を使わず香辛料と野菜と肉のみで丁寧に作られたカレー。それぞれ別々のルーで煮込んだカレーは、ビーフ、ポーク、チキン、エビ、タンとあるが、迷わずタンを注文。爽やかなルーとフワフワパラパラのごはんとのからみぐあいは絶妙。デザートにお願いしたリンゴ丸ごと1個を使った季節限定の焼きりんご、辛党でも食べるべし。その後、神保町散策時の定番、友人が経営する古書店に立ち寄った。
カレーとリンゴの余韻に浸りながら店内を徘徊(はいかい)する私に「ずいぶん前にこれ借りてったよなあ。今の時代に再度読むべし」と言って友人が渡してくれたのは、大正時代に編さんされたらしい「八木三巻書(ハチボクサンカンショ)」という古書。龍之巻・虎之巻・豹之巻からなる江戸時代の商家に伝わる投機判断の指南書である。秋の夜長にうってつけの古書を抱いて店を後にした。
以前を思い出しながら読み進めるうち「あっ、ここだ」とやっぱり虎之巻の中で忘れられない一節に出会った。
そこには「もうはまだなり、まだはもうなりということあり。この心は、例えばもう底にて上がるべきと進み候時は、まだなりといふ心を今一応ひかえて見るべし。また底ならず下がるべきと思ふ時、もうの心を考ふべし。必ずまだの心のある時より上がるものなり。よくよく考ふべし」とある。
この一節、投機判断のみならず経営判断全般、人の生き方においてもいろいろなことを示唆してくれていると改めて感じる。
例えば旅館ホテル経営。「もう考えられ得る営業手段は全て打ち尽くした」「サービスレベルはもうこれ以上あげようがないくらい素晴らしい」「もうおしまいだ、何をやってもお先真っ暗だ」とか、「まだ大丈夫だ。金融機関からの当面の支援は取り付けてあるので抜本的経営改善はまだ先のことだ」「現状の料理内容でもお客さまに喜んでもらってるから料理の見直しはまだ大丈夫」など、経営者との会話の中でよく耳にする話だ。
また、人生において自身の立場や年齢を思うときも同様だろう。「もう」と思えるときこそ「まだ」の心と目をもって自分の会社や自分自身を振り返ってみよう。「まだ」のときこそ「もう」の視点と決意で一歩踏み出すことが必要かもしれない。
個人の生活、経済状況、国家の行く末、世界中の混沌(こんとん)など、私たちを取り巻く状況は誰も経験したことがないほど厳しい。そんなときこそ己の現状をこの「もうはまだなり、まだはもうなり」の心得で真剣に注意深く見つめてみてはいかがだろうか。きっとたくさんのやるべきこと、その先の光る道筋が見えてくるはずだ。
(EHS研究所会長)