「湯道」とは、入浴を「茶道」や「華道」のように日本の伝統文化ととらえた考え方である。放送作家の小山薫堂さんが2015年から提唱、自ら初代「家元」を名乗り、映画制作にも乗り出し、公開中の映画『湯道』では企画・脚本を手掛けた。映画は地方の寂れた銭湯をめぐる人間模様を描いており、エピソードの一つに、銭湯で悪戦苦闘する外国人男性が登場する。外国人にとって入浴は「裸になる」「熱い湯に浸かる」といった点で異なる文化だ。だがその日本ならではの楽しみ方や極意は、日本人には当たり前すぎて、これまで外に正しく伝えるすべは実はなかったのではないだろうか。それを目指す「湯道」は、外国人向けの強力な「観光資源」となる可能性を秘めている。
©2023映画「湯道」製作委員会
映画『湯道』(鈴木雅之監督)の舞台は、日本のどこか地方の寂れた銭湯「まるきん温泉」(銭湯なのに温泉と名乗っている)。亡父が遺したこの店に、都会で活躍していた建築家の三浦史朗(生田斗真)が突然戻ってくる。父の葬儀にも帰省しなかった兄に、店を守ってきた弟の悟朗(濱田岳)は不信感を募らせる。兄弟の関係を軸に、店の看板娘のいづみ(橋本環奈)や訳あり常連客らが絡みあい「お風呂愛」を綴っていく。歌手の天童よしみとクリス・ハートが湯船で美声を披露する娯楽大作でもある。
作品中には、「源泉かけ流し以外は認めない」という温泉評論家・太田与一(吉田鋼太郎)と、「湯道」十六代家元の二之湯薫明(角野卓造)と内弟子(窪田正孝)が対比して描かれる。小山さんが伝えたかったのは「お風呂っていいなあ」というメッセージ、温泉も銭湯も共同浴場も内風呂も、上下関係はない、それぞれ違う楽しみがある、ということだ。人生を豊かにする「湯道」が語られる。
映画の舞台でもある銭湯の魅力は、地域の交流だろうか。小山さんは雑誌「Pen」に連載中の「湯道百選」で、地元の人と触れ合える各地の銭湯の魅力をたくさん紹介している。90歳を超えたおばあちゃんが切り盛りする沖縄市の「中乃湯」、熊本地震の被害から立ち直った「世安湯」(熊本市)、昭和初期の建造で、映画「テルマエ・ロマエ」のロケ地にもなった「滝野川 稲荷湯」(東京都)など。
©2023映画「湯道」製作委員会
小山さんは米アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『おくりびと』(2008)の脚本を担当したことで知られる。小山さんが今回、脚本を書くにあたり参考にしたのは、伊丹十三監督の「タンポポ」(1985)だった。寂れたラーメン店を再建していく物語で、複数のエピソードが交錯し、大団円に向かう。同じように物語が進む映画『湯道』では、エピソードの一つに、人生初の銭湯に悪戦苦闘する外国人男性アドリアン(厚切りジェイソン)が登場する。日本人女性との結婚の許しを、厳格でお風呂好きな義父に請うためだ。湯に浸かりながら必死で日本を理解しようとする姿勢に、義父の心は動かされていく。お湯の力で家族の絆が深まっていくエピソードだ。
このエピソードには「湯道」の精神が織り込まれている。第一に「湯道温心」。2015年に大徳寺真珠庵(京都市)の山田宗正住職から賜った「湯は心を温めるために」という基本だ。次いで「洗心無垢」は「湯に浸かり心を洗い、赤ちゃんのように無垢になる」。そして「以湯為和」は「湯に浸かることで仲良くなる」。アドリアンと義父は、湯に浸かり心を無垢にし、心を温め、仲良くなったのだ。
そして「湯道」には3つの基本がある。温かい湯に浸かれることに「感謝の念を抱く」、湯に関わる全ての人に「慮る心を培う」、湯に浸かることで「自己を磨く」だ。
実は小山さんは、東京五輪・パラリンピックの開催時に、新国立競技場に国立の銭湯を設置しようと、当時の五輪担当相だった丸川珠代氏に直談判したことがある。「ライバル同士が戦った後に、湯に浸かり心の垢を落とせば絆を深めることができ、東京のレガシーになる」と考えたが、残念ながら実現しなかった。
海外でもハンガリーやオーストリアなど、中東欧を中心に温泉(スパ)は存在する。だが海外ではプールよりやや温かいくらいの水温で、水着を着るので、「混浴」が普通だ。男女別で、熱めの湯に裸で入る日本の入浴文化とはかなり趣が違う。
日本でも、多くの外国人観光客が温泉を訪ねるようにはなったが、筆者は東北の温泉地で、入り方に戸惑っている外国人を何度か見かけたことがある。そんな人たちに「湯道」を体系づけ、湯に浸かる楽しみを理解し、普及させていくことは、日本の伝統文化の新しい側面を示すことになる。映画『湯道』に登場するように、入浴文化を正しく伝える「湯道会館」が設立されれば、全国の温泉のみならず、銭湯や共同浴場を訪ねる外国人観光客も増えるのではないか。
映画『湯道』は今後、台湾など海外での上映も目指すという。日本の伝統を伝える、これまで当たり前すぎて埋もれていた観光資源として、光が当たるステージに来たといえそうだ。
©2023映画「湯道」製作委員会