早いもので今年も終わろうとしている。年末になると恒例なのが大掃除である。いつの間にか1年の間で積もり積もった資料やファイルを必要なものと捨てていいものに分けて、整理してと…。意気込んで取り掛かるのであるが、私の場合はたいてい途中で挫折する。いざ資料とファイルの山に挑まんとする私に立ちふさがる大いなる敵が出現するからである。…旅の写真である。ひと昔前であれば、現像に出して返って来た封筒に入ったままの紙版の写真であったが、今はスマートフォンのカメラで撮影したり、SNSやブログに投稿した写真画像であったりする。私自身は普段はそれほど写真を撮る方ではない。しかし、旅行に行くとなぜだかたくさん写真を撮影してしまう。私に限らずそういう経験を持つ人は多いのではないか。
多くの旅行者は旅行体験の中で印象的なシーンに遭遇したときに、その写真を撮るという行為をする。S・ソンタグは著書「On Photography(写真論)」(1977 近藤訳、1979)の中で、写真を撮るということは、そこでの経験を記録するとともに、次の経験へと移るきっかけとなり、旅行経験という一連の流れが形付けられると指摘している。旅行者は印象的なシーンに遭遇したときに、自分と対象との間にカメラというフィルターを通すことで、自分の経験を理解しようとするのである。
写真を撮るという行為には、自分を取り巻く世界を理解しようという意味合いを含んでいるように思う。写真投影法(Photo Projective Method)というものがある。個人が撮影した写真をその個人と外界との関わりを反映させたものと見なし、個人が認知する環境世界と個人の心理的な内面世界を把握しようとする方法であり、建築学や都市計画学、心理学などの分野で活用されている。例えば、ある地域を訪れた人にそこで出会った好きな場所、気に入った場所を自由に写真撮影してもらう、そしてそのなぜその写真を撮ったのか、そのとき何を感じたのかを語ってもらう…その過程の中で、地域の人々もまた写真を撮影した当人でさえも意識していなかったその地域の隠された魅力が発見されることがあるだろう。
冒頭のふがいない自分への言い訳のようであるが、旅行写真の中には、その時に自分がその環境とどのように向き合ったかが凝縮されており、旅行写真を見返すことでそれが一斉に展開されるのではないか。そのため、旅の写真は大掃除に勤しみたいと思う私の大いなる敵なのである。
(一般社団法人日本宿泊産業マネジメント技能協会会員・帝京大学経済学部観光経営学科 花井友美)