和多屋別荘の高級部門「水明荘」で、真夜中の柿右衛門先生と中島宏先生の話は延々と続いたが、お2人のような高いレベルの陶芸家や、企業や事業所の代表、医師、弁護士など一流の人物が水明荘を利用していただくようになり、高価格で高稼働のゾーンが出来上がった。そしてわずか10室の水明荘が180室の和多屋別荘全体をリードし始めたのである。
私の30歳代の自社の資金繰り難を発端とする心身症は皮をむくように快方に向かった。【人間は健康を害し病になったら、その原因を追求し源を正せ!】であり、そして、私の人生訓である【喜怒哀楽よりもワンアクション】につながる。その意味は<人間は喜怒哀楽を感じて生きていくが、その喜怒哀楽の一つの感情に振り回されてはならない! 苦しみや悲しみに陥ったら、精神的に体の内に内に考え込まないで、外に向かってアクションを起こそう! そのワンアクションは苦しみの原因を打ち破り、悩みを断ち切る力がある!>。
当時、国際社会では、ニューヨークのプラザホテルで先進国5カ国で合意された“日本の輸出経済”が欧米に対して強すぎる状況を改善するいわゆる<プラザ合意>が発効し、日本の公定歩合は大幅に下がり、土地神話が生まれ、金融の大緩和の時代となった。円の価値は躍進し、カネがドンドン舞い込む日本の一流企業は正常な精神を失い、有り余る資金で禁じ手を打ってしまった。それはアメリカ経済の象徴である“エンパイアステートビル”を買収し、ドイツの美しい古城などを買いあさった。多分その国の人々は「今に見ていろジャップめ!」との感情を抱いたであろう。
国内では、大金融緩和の時代が訪れ、従来は多くの中小企業が金融機関からどのようにして資金を引っ張り出すか? 四苦八苦する状態が、一転して、金融機関が企業に融資を乱発する状況になった。
私の旅館でもあれだけ厳しかった銀行の姿勢が一転して、本当に信じられないくらいに姿勢が逆転し、いわく「東のタワー館に対して、もう一つ西側にも同じようなタワー館を建設しませんか?」と言う。私は「いえいえ、これ以上客室を増やせば温泉旅館のサービス精神が希薄になり、むしろ客室を減らしたいくらいです」と言うと、「それでは何か旅館以外でも事業をやりませんか?」とのたまう。
そこで、(いいえ、タワー館の建設に資金をかけすぎて、その後の資金繰りが大変だったので、しばらく様子を見ます)と言えば、私のその後の人生は大きく変わったであろうが、喉元過ぎた苦しみは忘れたかのように「嬉野温泉全体のイメージを上げるテーマパークをやりたい」と吐露した。
すぐに銀行は「いいですよ!」と言う。【ビジネスの相手が姿勢を急転換した際は要注意、しばらく静止して熟慮せよ!】である。私は本当に仕事上の学習効果のない人間だ。
当時、佐世保市の南西部の西彼町にオランダ村というオランダの風車のある飲食・物販施設ができた。ところが大手旅行会社が<オランダ村と嬉野温泉の旅>などと企画旅行を仕掛けてくる。特に、東京からの情報発信が強くて、オランダ村とは何ぞや?社長の神近さんとはどんな人?と思いつつ、ある日現場に行ってみた。
そのころは、まだ大きな風車があるドライブインレストランぐらいのようだったが、しばらくして神近社長に面談した。
「小原さん、あなたのお父さんは佐賀県議会議長を永年続投されてすごい人物だと聞いていますが、私の頭の中のプランもすごいですよ! なかなか他人には分かってもらえないが、今のオランダ村の数十倍の広さのオランダの街並みをここに再現してみせますよ!」と豪語され、その言葉に部屋を押し出されるように別れを告げた。
大風呂敷を広げる人物には、何人か出会うが、神近氏のでかい話は夢にあふれ、その壮大な計画はすぐに実現するのではないかと感じられた。その後、何度かオランダ村を訪れて親交を結んだ。
(元全旅連会長)




