【2026新春 特別企画】JAL OG女将座談会 「鶴丸」の下で育んだもてなしの心を胸に


あでやかな装いで参集くださった、JAL OG女将会の会員

 日本航空(JAL)で客室乗務員を務めた経験を持つ旅館と料亭の女将の有志が、昨年「JAL OG女将会」を立ち上げた。JALでの経験を生かしてそれぞれの施設や地域で活躍する同会の7人の女将にお集まりいただき、JALでの思い出や学び、女将業への生かし方などについて、さまざまな思いをお話しいただいた。ファシリテーターは、温泉エッセイストで跡見学園女子大学兼任講師の山崎まゆみさん。(東京都千代田区の帝国ホテルで)

 座談会出席者(入社年次順)
 指宿シーサイドホテル(鹿児島県・指宿温泉) 有村 青子さん
 海老亭別館(富山県富山市)          村 美子さん
 日本の宿 古窯(山形県・かみのやま温泉) 佐藤 洋詩恵さん
 五浦観光ホテル大観荘(茨城県・五浦温泉) 村田 和華子さん
 水明館(岐阜県・下呂温泉)          滝 景子さん
 オーベルジュ㐂久屋(京都府・綾部市)    駒井 美穂さん
 つるや(福井県・あわら温泉)       小田 絵里香さん

 司会=山崎まゆみさん(温泉エッセイスト/跡見女子大学兼任講師) 

施設や地域のご紹介

 
 山崎 初めに皆さまの自己紹介と施設のご紹介をお願いいたします。

 有村 日本列島の一番端、鹿児島県の指宿温泉でホテルを営んでおります。私がお嫁に来る前はまだ海外旅行もあまり行かない時代でしたので、指宿は列車が着くたびにハネムーン客がどんどん降りてきて、「東洋のハワイ」と呼ばれるほどにぎわったそうです。その後は皆さん本場に行かれてしまったのですが(苦笑)。ハワイに例えられるほど暖かいところなのですが、温泉があります。一般の温泉だけでなく、首まで砂をすっぽりかぶる砂蒸し温泉が有名です。体のデトックス効果満点で、今は特に女性に大変人気です。


有村さん

  北陸・富山で日本料理屋をやっております。私どもは明治44年に創業した料亭にルーツを持ちます。昭和11年より富山市の真ん中で料理旅館をやっておりました。昭和59年に私どもの真向かいに、当時富山市では最も高い19階建てのシティホテルが建つことになったのをきっかけに、半分は旅館として残し、半分はいけすを作って「いけす割烹」にいたしました。その後時代の流れや主人が生まれた時からいたベテランの仲居さん方の高齢化などから、料理旅館を閉め、割烹にいたしました。

 今は息子の代になり、令和5年に全く新しいところにお店を立ち上げました。座敷はなく、カウンター席とテーブル席のみでお料理を味わっていただくスタイルでやっております。


村さん

 佐藤 山形県の蔵王の麓、歌聖・斎藤茂吉のふるさと、湯の町かみのやまで温泉旅館を営んでおります。宿の名前は、約1300年前の奈良時代の須恵器の窯跡が敷地内から発掘されたことにちなんだものです。館名が決まった時、私どもの宿を一筋貫くものが定まったように思います。

 初代女将が大変なアイデアマンで、「陶芸=楽焼」とひらめき、旅の思い出を楽焼にと試行錯誤しながら楽焼体験を始めました。ご来館の各界の著名な方や縁深き方の楽焼を展示しています。お描き下さった方々の魂が宿るがごとく、東日本大震災に遭っても1枚も割れなかった楽焼は、宿の歴史です。お客さまに楽しんでご覧いただき、マスコミの取材も多く、今や私どもの個性であり宝物です。初代の思いに立ち返ることの大切さを折々に感受し、2代目として宿に立ち続けてまいりました。

 昨年11月に3代目の息子たちにバトンタッチをし、今後は若い人たちを見守りながら、さらに高みを目指し、良き導きができればと思っております。


佐藤さん

 村田 私どもは茨城県の五浦温泉で温泉旅館を営んでおります。今年で創業90周年を迎えます。 五浦は明治の思想家・岡倉天心が、東洋の精神性を説き、日本美術の真価を興し世界に発信した文化的意義のある地です。弟子の横山大観が苦境を乗り越え、この地で新しい技法を確立したことから、五浦は芸術家の心のよりどころ、「芸術の聖地」サンクチュアリでもあります。

 当館には大観のアトリエ兼住まいが併設され、源泉かけ流しの露天風呂では、大観が描いた日本画のような風景に溶け込む一体感を味わうことができます。


村田さん

  下呂温泉で、お客さまの収容人数が1千人という大型温泉旅館の女将を務めております。下呂温泉は日本三名泉の一つでして、本当に滑らかなお湯が自慢です。温泉は限りのある資源ですので、下呂温泉では乱掘して枯渇しないよう、先人の方々が集中管理システムを作ってくださいました。そのおかげで、今も豊富な湯量の良質な温泉を皆さまにお届けできており、先人に感謝しつつ商売をさせていただいております。

 先代、先々代の社長や女将の頃から、「旅館には文化や芸術が全て詰まっており、芸術文化を大事に残していかなければならない」という思いが強く受け継がれています。それもあって、館内には、お茶室や能舞台、画廊があります。温泉に加えてそういった芸術文化を、浴衣を着てのんびりとリラックスした気持ちで楽しんでもらいたいと館内ツアーも行っております。


滝さん

 駒井 私どもは元々、天ぷらの専門店として大正11年に京都木屋町で創業いたしました。その後、伏見に料理旅館を開業、平成4年に移転し天ぷら割烹「宮川町㐂久屋」を営んでまいりました。

 創業100年を迎えたタイミングでコロナ禍が数年続き、取り巻く環境の変化や今後を見据え、思いきって市内の宮川町の店舗を閉め、京都府中部に位置する自然豊かな綾部市に移住。築150年の古民家を改装して1日1組のオーベルジュを3年前にスタートいたしました。主人の母方の家業であった天ぷら割烹の味を守り、父方の実家であり長い歴史を持つ花街・宮川町のお茶屋兼置屋「駒屋」の、京都独特の文化の雰囲気を残しつつ、愛犬とゆっくり過ごしながら自然を楽しんでいただく、という少し変わった趣の宿になります。


駒井さん

 小田 福井県のあわら温泉で最も古い旅館で女将を務めております。私自身は、石川県・和倉温泉の加賀屋で20年ほど若女将を務めておりましたが、コロナ禍の前から後継者について相談を受けていたご縁で、2022年から今の宿に携わっております。

 あわら温泉は140年。つるやも140年で、温泉と共に歴史を刻んできた旅館になります。農家の方が水を求めて掘ったところ出てきたといわれる温泉です。皆さまの温泉地や地域と大きく違うのは、温泉が分配方式でないことです。各旅館がそれぞれの源泉をもっており、今74泉あるといわれています。つるやも3泉ございます。

 つるやは、「東の村野藤吾、西の平田雅哉」といわれた大阪の名棟梁である平田雅哉氏が、約70年前に設計施工した数寄屋造りの建物が特長です。今、平田棟梁の建築に直接宿泊できるのは、当館と城崎温泉の西村屋本館だけになります。


小田さん

JALでの体験・学び

  山崎 JALにお勤めの際の思い出深いエピソードをお伺いできますか。またJALでの勤務で得られた知見のうち、現在に生かされていることもお聞かせください。


山崎さん

 有村 一番印象に残っているのは、天皇陛下が「なるちゃん」と呼ばれておられた幼稚園生ごろの時に、お出かけのお世話を申し上げたことです。時代的なものか、お子さまだから宮内庁で遠慮されたのか分かりませんが、飛行機を1機全て利用されずに、旅客機の前半分が「なるちゃん飛行」、後ろ半分が一般利用でした。お飲み物などをお渡しする際にはお付きの方を介して提供したのですが、宮中でのお作法の一端に触れることができました。

 その際、同機に乗る一般のお客さまの身元は精査したようなのですが、それでも世間でいわれる過激派の一員のような人が含まれていて、何かというとクレームにしようと騒いでいたんです。当時政治のことや思想的なことも全然分からなかったのですが、気を付けなければならないのだと痛感いたしました。

 当時は何かトラブルがあっても、キャプテンからはシニアアテンダントだけに状況説明があり、当時でいうスチュワーデスは何も聞かされませんでした。福岡空港だったかと思うのですが、着くやいなや救急車、パトカーが並んでいたことがあります。それが実は自分たちの飛行機のために集まっていたのです。その時にキャプテンから「こういう事情でいざということもあるかもしれない。ですが他の乗務員には言わないでください」と言われたのです。

 というのは、若い乗務員たちが敏感に反応したり、動揺したりするとお客さまにも伝わるからということでした。
 
 ただお客さまを不安にさせないようということだけ考えて動いたことをよく覚えています。情報を知ることは大事ですが、全ての人に情報を出すべきなのか。情報を共有する相手を選ばないと、逆効果になることがあるというのは肝に銘じていますね。

  私はあっという間に結婚退職してしまったので、JALに2年しか在籍していないんですが。その中で一番印象に残っているのは、「笑顔」です。訓練センターでは常に笑顔であるよう訓練されました。教室のところに鏡があったような気がするんですが、出入りする時に必ずその鏡をのぞいてちょっと口角を上げてほほえむんです。それが作り笑顔ではなくて自然の笑顔になるよう言われたのがすごく印象に残っています。

 それが旅館に嫁いだ時に役に立っていると感じることはあります。お客さまがおいでになった時に自然に笑顔になる。初めてお会いした方とも仲良く会話ができる。それはJALで訓練していただいたおかげと感謝しています。今はセミリタイアしているのでそこまで笑顔を作らなくてもいいんですが、自然と笑顔が出るんですよ(笑い)。

 一同 (笑い)

 山崎 もてなしの根本ですね。

  普段は地上職の方と接点がないのですが、ジャルパック全盛の当時、各企業をまわってジャルパックをセールスしている営業職の方と話す機会があったんです。その方から、「僕たちがどれだけ一生懸命ジャルパックの仕事を取ってきても、次にジャルパックを使おうと思ってくれるかは、君たちの機内での笑顔とお客さまに対する対応にかかっているんです」と言われたんです。乗っていただいたお客さんが次もJALに乗りたいと思っていただけるようなサービス、接客を心がけなければならないと肝に銘じましたね。

 佐藤 私は社歴が短い割には失敗がたくさんあって(笑い)。地上勤務の時、国際線出発ゲートで搭乗券をもぎってお客さまを飛行機へ案内しておりました。同伴幼児の搭乗券が見当たらず、インファント(幼児)と言うべきところを、慌てて「エレファントがいません」と絶叫して驚かれました。冷静になれば幼児が1人で搭乗することはあり得ないのです。安全厳守の基本である点検、確認を徹底した上での報告、連絡、時に相談が重要であるということを反省とともに痛感しました。もちろんベビーちゃんはお母さんと一緒に何ごともなく機上に(笑い)。

 機内乗務では忘れ得ぬ「レモンスカッシュ事件」があります。エコノミークラス担当で、お客さまにレモンスカッシュを頼まれたことがありました。丁重にお断りするのが適切な応対なのですが、レモンも炭酸も砂糖もあるので作れると思い、「かしこまりました」と返事をして、ギャレーで作ってお持ちしようとしたのです。その時先輩から取り上げられ、「レモンの搭載数は限られているのよ。あなた優秀だから、地上にレモンを取りに行くのね」と言われて(苦笑)。「お客さまにお詫びしてまいります」と言いましたら、先輩は即座にそのレモンスカッシュを透明なリカーグラスから紙コップに移し替えて、「お客さまに持っていきなさい。他のお客さまに同じものを所望されたら困るでしょう。映画の後のドリンクサービスの時に、お出しするレモンが足りなくなるのよ」と諭してくださいました。私が作ったレモンスカッシュも無駄にせず、他のお客さまからはレモンスカッシュと分からないようにする配慮。私は感動感激で胸がいっぱいになりました。今でもこの話をするとこみ上げてくる思いがあります。

 マニュアルを守りながらも、できることは心を尽くして行動に移すという尊くありがたき教え。おかげさまでお客さまも大喜び。その時、「Everybody,but,only for you(あなたさまへのおもてなし)」というサービスができることに気付かせていただきました。

 先輩の話はまず素直に聞くこと、「一日の長」ということも大いに学ばせていただきました。素敵な心配りができる先輩に出会えたことが生涯の財産です。私の新入社員教育は、さわやかに(笑い)レモンスカッシュ事件から始まります。

 村田 旅館に嫁いで、経営の立場から、私を育ててくださったありがたさと、社員教育がどれほど大切かを身に染みて感じております。

 JALでの新人訓練前の地上研修では、福岡空港でチェックインや予約業務に携わり、整備士のユニフォームを着て整備の仕事の一部も体験しました。所属する社員は分厚い機械工学のマニュアルを何冊も抱え、知識の更新と膨大な勉強を続けていて、乗客の安全を担う使命感とプロ意識を目の当たりにしました。その中で、普段目につかないさまざまな部署があって初めて1機の旅客機が無事に飛び立ち、その先にお客さまの満足があるのだと実感しました。訓練センターでは、各分野一流の方たちが指導に来てくださいました。ファーストクラスでのプロトコールや身のこなし、メイクの仕方などを学ぶことができたのは貴重な体験でした。

 3年勤めたあとにアシスタントパーサーへの昇格前のタイミングで、社内の他の部署の方との合同合宿研修もありました。ここでも当時最先端のメソッドにより、ファシリテーターの方からチームビルディングや自己啓発、エラーの最小化などについてチームで学ぶ機会を得ました。その経験は今の自分に生かされています。JALと同じようにはいきませんが、「自分の会社ならどのように伝えれば分かってもらえるか」を社員の世代なども考慮しつつ、伝え方を試行錯誤しています。

 実は最近、各部署の職場長が集まる会議で、「フロント係や仲居など表に立つスタッフだけでなく、板前、客室清掃、施設係、事務職、みんながいることで初めておもてなしができている」「どちらが上とか下ではなく同じ目線、同じ気持ちでやっていきたい」と社員からの発言があって。JALで学んだ新人の頃を思い出してうれしくなりました。仕事から学んで成長してくれた時、社員は輝き出します。私はそういう時に一番幸せを感じますね。

  洋詩恵先輩の話を受けて、私も失敗談を。ビジネスクラスに赤ちゃんとお母さま2人連れのお客さまがおられたのですが、赤ちゃんがずっと泣いておられて。機内も暗くなって静かでしたし、お母さまもお疲れのご様子だったので、赤ちゃんを少しの間抱っこしてさしあげたら泣き止んだんですね。お母さまもそれでしばらくお休みになることができたので、ちょっと落ち着くまで抱っこしていようと思いましたら、先輩から叱られました。お客さまはとても喜ばれておりましたし、周りのお客さまもうるさくて眠れなかった状況で、「ありがとう」とおっしゃってくださったのですが、「もしも機体が揺れてお子さまにけがを負わせてしまったらどうするの」と愛情のこもった厳しいご指導をいただいたことを覚えています。

  私は湾岸戦争開戦時にはロサンゼルス、旧ソビエトのクーデター時にはモスクワにフライトで行っており、歴史的な場面を間近で感じたり、また時の総理大臣のロンドンサミットの特別機に乗務させていただき、国の中枢の方々に同行する機会をいただいたりしました。これらはJALにいなければ経験できなかったことと心から感謝しています。そのような素晴らしい経験があったからこそ、旅館に嫁いで大変な局面に出くわしても、全て乗り越えられると感じられ、自分の中の活力、お守りのようになっております。

 先日、週初めの月曜日の早朝、私どもで全館停電という緊急事態が起こりました。急ぎお客さまのところに駆けつけましたら、皆さま真っ暗な中でご朝食を召し上がっておられました。このような緊急事態にも、JALでとことん教え込まれたエマージェンシーの訓練が本当に役に立ち、冷静に対応する自分がいました。

 一昨年正月の能登半島地震の翌日には羽田空港でJAL便の事故が起こりました。お泊まりのお客さまから全員無事と伺って涙が出るとともに、ちゃんと訓練されたことが生かされて、さすがJALだと感じました。

 村田 JALでは全員必ず年に1度、救難訓練を受けることが義務となっていました。100点満点でないと許可されない厳しい筆記試験と、その後には機体からスライドを滑ってプールに飛び込む実技試験もありました。フライト前には必ず機長はじめ全員参加のブリーフィングがあります。「着陸直前R2ドア付近から火災発生」「離陸機5時間太平洋上に緊急着水」といった細かなシミュレーションを行いました。ですから24年お正月の緊急事態にクルーが活躍したことは、奇跡ではなく日ごろの訓練の賜物なのだと。努力を積み重ねる姿勢があの日の成果につながったのだと感じました。

 私も湾岸戦争を体験したのですが、不安を抱えていてもお客さまには当然笑顔で接しなければなりませんでした。15年前の東日本大震災では、戦争でも起きたのではないかという激しい衝撃だったのですが、そのような中でのお客さまへの誘導、その後社員たちとともに炊き出しをし、各地の避難所へ届けて巡回する際のリスク管理は、JAL時代の経験や訓練を経てこそと思っています。

 駒井 訓練で学んだこと、メンタルの面など本当に皆さまがおっしゃる通りです。私は5年ほどで退社したのですが、その短い乗務期間で学んだことは数えあげればきりがありません。その中で特に、社会人のベースとして常に細かいところに気を配る、大げさに言えば「神は細部に宿る」ということを先輩方から学びました。そのことはその後の会社員生活、そして現在の仕事にも大変役立っており、「お客さまからの目線」というものを常に意識しております。

 退職後、ほぼJALにしか乗ったことはないのですが、やはり機内の一つ一つ、そして乗員の様子が気になって仕方ありません(笑い)。お客さまは飛行機に乗る、という非日常、特にビジネスクラス、ファーストクラスのお客さまは期待が高く細かいところをよく見ていらっしゃいます。オーベルジュにいらっしゃるお客さまも同様です。ご要望にきちんと沿っているか、掃除が行き届いているか、見えてはいけないものが見えていないか、など常に気を配っております。

 小田 福岡出身で福岡空港の近くに住んでおりまして、その時にCAの姿を見て、憧れるようになったんです。その後大学生の時のこと、シカゴ―成田線に乗った際にひどい疲れでずっと寝ていたんです。その時に機内食を食べるよう声をかけてきたCAの方がとても優しくて。当時もまだCAへの憧れを持っており、留学などのお話をするうちに、「アンカレッジは今、オーロラが奇麗だからよかったらコックピットに見に行きませんか」とお声がけくださったんです。そしてクルーのいるコックピットの中でオーロラを見せていただいたのが本当に印象深かった。ですから、自分がCAになった時にも、まだアメリカ同時多発テロの前でまだいろいろな規制が緩かったので、クルーから「今日子供さんいるなら連れてきていいよ」と言われた時には、コックピットをオープンにして、しし座流星群などをお見せしたことがありました。お子さん方も本当に喜んでくださった記憶があります。最近はいろいろと厳しくなりましたが、それでも変わらずに、飛行機は夢のある非日常感ある乗り物だと思っています。

 旅館に嫁いで感じるのですが、旅館も非日常の演出なんですよね。お客さまは旅行に出かける前から皆さんワクワクされているので、宿にお着きになった時には私たちが非日常を演出するわけですから。

 山崎 JALOG女将会を通じて、今後どのような活動をされたいか、また航空業界や宿泊業界を目指されている若い方たちへのメッセージを頂けますでしょうか。

 有村 AIなどの技術が進んで機械化されても、それを動かすのは人間なんですよね。だから、やはり原点に戻ることが大切ではないかと。それもサービスうんぬんよりも人間としての優しさが求められる。だからこそ子供たちには、その部分を考えたり、経験したりしてもらいたいです。

  広い日本、行っていないところがたくさんあります。せっかくなので会の皆さまのところを訪ねていきたい。それ以外でも日本のいいところがたくさんあるので、もっと足を運びたいですね。

 旅館をしていた時から考えているのですが、お客さまにはリピーターになっていただきたいわけです。だから紅葉の時期にお越しになったら「冬はズワイガニがおいしいですし、雪見酒もいいですので、またまたぜひお越しください」とアピールをするわけです。せっかく富山を選んでくださった方だからこそ、アピールすることで次にまた来て富山を好きになっていただける。そしてその方が地元で、「富山は意外と良かったよ」と言ってくださる。そういう口コミが宣伝として一番強いですし、そうやって良さを広めていただくことは大事だと思っています。

 航空業界、観光業界を目指す若い方に伝えたいのは、私たちの時代と違って今は情報量がすごい。お客さま自身がもういろんなことを知ってらっしゃる。若い方などは「誕生日なのだけれども、何かサービスはあるのか。何もしてくれないならちょっと考えます」とかおっしゃる。それと今の時代は、ネット上にさまざまな口コミやコメントを一方的に書かれます。だからといってお客さまの要求をのんでいくとエスカレートしていくのでそこが難しい。でもだからこそ、「私どもはそういうことはやっておりませんけれども、でもぜひまたいらしてください」と言えるような、凛(りん)としたものを持つ必要があると感じます。

 佐藤 「女将は日本文化の担い手であり、伝承者、地方創生のリーダーである」と、観光経済新聞社の江口恒明前社長が常におっしゃっていた言葉を肝に銘じています。湯の町で女将と呼ばれて50年、心の余裕もでき、微力ながら、後輩の女将、働く女性の応援団でありたいものです。

 世界一美しい民族衣装は着物と思います。染めの着物には紅下染め、藍下染めがあることや、二十四節七十二候の季に応じた着物の装いなど、特有の決まりごとがあり、着付けもまた難しく、若い人たちの着物離れが進んでいます。今や床の間に平気で荷物を置く人が増え、旅館から床の間や畳が消えゆく時代。古き良きものを次代へ伝承することが最も肝要と思います。長年培われた着物職人の伝統の手技を広めたく思い、今日は留袖をリメイクした服を着てまいりました。1反でワンピースとロングドレスが作れます。帯を締めるのが難儀な方や着物になじまない若い方にもお勧めです。まさに伝統文化を現代に、です(笑い)。

 時に絶滅危惧種ともいわれる女将ですが、「おもてなしを具現化する人」あるいは「自己責任と自助努力を胸に刻んで仕事をする人」と広義に捉えると、日本の全ての働く女性は「女将マインド」の持ち主です。今世紀は人類大交流の平和産業である観光の時代。JALの翼で結ばれたご縁を大切に育み、切磋琢磨し、励まし合いながら、瑞穂の美しい国・日本の魅力、素晴らしさを国内外の皆さまへ、喜々として伝えてまいりたいものです。

 村田 人の心が触れ合うことで温かさを感じたり、懐かしさに回帰したりしたくなるのは、世界を激変させるようなテクノロジーの革新が起きても不変だと思っています。日本にしかない女将文化をそれぞれの形で守りつつ相手の心に寄り添うことを大切にしていきたいです。

 CAを目指しているというお嬢さま、お孫さまとご一緒にご来館くださるお客さまがいらして、さまざまなご質問をいただきます。そのお付き合いを通して「『女将さん』という職業に憧れるようになりました」と話してくれる小学生の女の子がいて、心温まる思いです。

 OG会の皆さまがこのように全国にいらっしゃいますから、この会の話題になった時には「全国にはこんな素敵なお宿、温泉にこんな素敵な先輩がいらっしゃるんですよ」などと話をさせていただいておりますので、ネットワークはこれから広がっていくのではないかなと思います。同じ翼のご縁でつながる先輩後輩との新しい出会いや学びの機会を広げていけたらと考えています。

 有村 同期同士は、当時の苦労した時を共有して頑張ってやってきているから「ツーと言えばカー」で分かるんです(笑い)。だからこの思いを後輩たちにもっともっと感じてほしいですね。

 村田 先輩方が常に励ましてくださったことは大きな支えになりました。かつて学生時代、CAを目指していた時に、航空業界を目指す人向けの雑誌に、元CAで旅館に嫁がれたというお話で古窯の佐藤さんが紹介されていたのを鮮明に覚えています。まさか自分が同じ旅館業界に入ることになるとは。そしてその先輩が、今目の前に(笑い)。

  機内誌『WING』にも佐藤さんが載っていらして、あこがれの大先輩でした。

 私どもの場合平時はみんなが動いてくれるので私はほとんど何もすることはないんです(笑い)。だからこそ先日のように何かが起こった時は、みんなが安心して頑張ってくれるように私がやらねばならないと気張っていたところがありました。

 今日こうして皆さんにお目にかかって「大丈夫だった?」とお声がけをいただいて、ようやく緊張が解けて涙が出そうな感じがいたします。このOG会の皆さまと、女将としての喜びも苦しみも理解し合って分かち合え、そういう方々がいらっしゃることは、本当にありがたく素晴らしいことだと思います。

  皆さん飛行機に一緒に乗ったことはないのに、いろいろな思いを共有しているので、会った瞬間にすぐ話が合うというのがJALの絆ですね。

 有村 世間の常識も分からない、学校出たての若い時に、JALや先輩方からたくさん教えていただきました。その感謝があるから応えなければという思いはあります。ここまで思わせる会社は他にあるのかしら。

  女将は絶滅危惧種という話がありましたが、今が踏ん張りどころだと思っています。女将は大変と思われがちですが、とにかく楽しいです。次の世代の方々にも女将になりたいと思ってもらえるようにしなければと思っています。

 昔であれば家でお母さまから教えてもらったようなお作法や身だしなみなどを、今の子たちは学ぶ機会を失ったまま社会人になってきています。自宅に畳の部屋がない子が増えつつあるので、床の間はもちろん、上座も分からない。そういうことを次世代に伝えていく役割が私たちにはあると感じています。それが、旅館の仕事を通して学べて、自分の身に付く。「学んだことは今後の人生で一切邪魔になることなく得にしかならないから、仕事と思わず『ここで学ぶ』という気持ちでやったら仕事も楽しくなるよ」と若い社員が入ってきた時には必ず言うようにしています。

 駒井 私は大学時代を過ごした京都に縁あって5年前に嫁いできました。それまでは海外生活や東京丸の内の会社員生活が長くあまり日本の文化を意識して過ごしておりませんでした。

 京都という土地は文化が非常に成熟しており、「日本の美と心」が日常生活に溶け込んでいるような場所で、毎日が勉強であり大変楽しく充実した仕事そして生活を送っております。

 今回、初めてJAL OG女将会の仲間に入れていただき、想像した通りの素敵な先輩、仲間がいらして今後の活動にもワクワクしております。

 「女将の会」と聞くと少しコワい?同期に話しますと「え~大丈夫?」というリアクション(笑い)。規模の大小に関わらず、と先輩方もおっしゃってくださいましたので私どもがハードルをぐっと下げることでもっともっと仲間が増えて、「この県に行ったらこういうOGがいるよ」というような規模になればうれしいな、と考えています。

 地方ではJALに対する期待は大変大きく、そこに行けばJALのおもてなしが受けられる、と期待してくださいます。来て良かった、笑顔で帰っていただけるよう、「一期一会」を大切にお客さまとのご縁を大切に紡いでいきたいと思います。

 30代以下の若い方にとっては「おもてなし」といっても実感が湧かないことだと思うのですが、明るさや気遣いが求められる業界を目指す方にはどんな経験も無駄にならない、さまざまなことにチャレンジしてコミュニケーションを楽しみ、磨いていってほしいと願っています。

 小田 以前和倉温泉におりました頃ですが、四年制大学を卒業したピカピカに輝く若者たちがUターンでもなくたくさん志望してきていました。その一番大きな理由が、「海外留学して何一つ自分たちが日本のことを語れなかったことが恥ずかしくて、学びたいから」。彼女たちも、「この会社を私たちに何を教えてくれる会社ですか」と入社試験の時にはっきりと聞いてきたので、JALで学んだ時のように3年間の客室係のカリキュラムを作ってしっかり示しました。そうでなければ、若い人たちは田舎には来てくれなかった。

 最近は、千葉・浦安の明海大学で教壇に立ったり、全国でおもてなしについてお話ししたりする機会もいただいたりしています。年とともに私自身も変化していく中で、「自分のおもてなしとは」を考えました。その中で、若い学生の皆さんに足りていないのは「三つの『お』」、「慮(おもんばか)る」「思い切って」「おせっかい」と伝えています。若い子たちも「人に何かしてあげたい」という優しい心、慮ることはするのですが、その次に思い切っておせっかいができない。「失敗したら」というのが足かせになっているので、そこは「まね、慣れ、己」で、先輩を見てまねて、慣れて、慣れれば思い切っておせっかいできると言い続けています。

 「日本人は捨てたもんじゃない」と思わせてくれる人たちが若い人含めたくさんいますし、今は決して悲しい世の中じゃないと思うんです。インバウンドなどに向けて最前線にいる私たち宿屋が、この「優しさ」を伝えながら若い子たちの背中を押す役目になっていきたいですね。

 山崎 宿泊業には表のおもてなしを担う人だけではなく、裏方の経理や総務、設備の整備などいろんな仕事があり、おもてなしや人好きではなくとも、旅館ホテルで働けば「地域の柱」となる仕事ができますね。特に女性の場合は、ワークライフバランスとか、出産、子育ての時でも旅館ホテルではうまく、タイムパートなどで仕事ができます。女子大で教壇に立っております中で、若い学生の皆さんが旅館で働くことに興味を持ってくれるよう取り組んでおりましたところ、シティホテルへの就職を希望していた学生が、旅館に就職してくれることになりました。

 宿泊業、観光業は、女性の気働きや優しさが肝でもありますし、そこが日本の観光の真髄だと思っております。皆さま、引き続きよろしくお願いいたします。


あでやかな装いで参集くださった、JAL OG女将会の会員

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