和倉温泉で宿泊施設を経営する4氏
2024年元日の能登半島地震で壊滅的な被害を受けた石川県・和倉温泉。現地では「千年に一度」といわれる災害を「千年に一度のチャンス」にすべく、今までの課題解決も見据えた新たなビジョン策定、まちづくりがスタートしている。和倉温泉の現状と今後について、旅館経営者4氏に語っていただいた。(和倉温泉観光協会・旅館協同組合事務局で)
出席者(順不同)
・谷﨑裕氏 (日本の宿 のと楽 社長)
・渡辺崇嗣氏(加賀屋 社長)
・多田直未氏(ゆけむりの宿 美湾荘 社長)
・奥田一博氏(おくだや 社長)
震災乗り越え、「創造的復興へ」
現在の自館の状況は
――(司会)震災発生から2年。現在の地域全体と、それぞれの宿の状況について伺いたい。
谷﨑 和倉温泉には旅館・ホテルが20軒あるが、現在開業しているのは9軒。残りは修理をしているなどの状況で、全てが完全に復活したわけではない。
当社は比較的早く、24年の11月から工事をしながらという形で営業を再開し、順次復旧を進めている。今も不備な点はかなり残っているが、とにかく営業をしていくことで、旅館の付加価値を高めながら整備していく形を取ることに決めた。まず復旧事業者の方々を受け入れ、その後、研修や見学の方々を一部入れ、施設が直ってからは観光客の方を少しずつ入れる形に方針を変えてきた。
他の旅館の中にも、同様に工事をしながら営業していくところはあるだろう。前に進まないと時間だけが過ぎていくし、時間がたつことによる風化で忘れられていくのが怖い。イベントなどをやりながら発信を継続していくことが重要だ。また、従業員の雇用をどう維持していくかという課題もあるため、早めに雇って働いていただく形をつくる必要があると考えている。

谷﨑氏
渡辺 地域の状況は谷﨑理事長(和倉温泉旅館協同組合理事長)からお話があった通りだが、残念ながら私どもはまだ営業できていない。和倉にある四つのブランド(加賀屋、あえの風、松乃碧、虹と海)は全て営業を停止しており、やっとそのうちの3施設の解体が始まったところだ。大まかな方向性は見えてきているが、現在は建設会社と費用や工期の問題を詰めている段階。金沢にある「金沢茶屋」や全国のレストランは稼働しているが、和倉の4旅館は再開できていない。
スタッフについては、ありがたいことに全国のさまざまな会社からお声掛けをいただき、ホテルや食品会社、交通機関など、多くの場所で預かっていただいている。現在65人ほどが「社外出向」という形で全国に散らばり、慣れない土地で頑張ってくれている。また、稼働している金沢茶屋やレストラン部門に異動してもらう「転籍」という形で勤務してもらっているスタッフもいる。

渡辺氏
奥田 うちは和倉で一番小さな旅館だが、建物はすぐに解体し、現在建て直している。今年の7月1日オープンを目標に建て替えを進めており、さまざまな準備をしている状況だ。

奥田氏
多田 当館は、三つあった建物のうち一つを解体した。残りの一つを復旧事業者さん専用の館とし、もう一つの館で11月11日から一般客の受け入れを開始した。復旧事業者さんと旅行のお客さまの両方を受け入れながら、宴会なども再開している。その前に、まずできることとして、8月に1階で居酒屋をオープンさせた。少しずつできることを進めてきて、ようやく一般のお客さまを入れられるようになった。

多田氏
「和倉温泉創造的復興ビジョン・プラン」の進捗状況
――「和倉温泉創造的復興ビジョン・プラン」を策定した。その経緯やコンセプト、進捗(しんちょく)状況について。
奥田 「和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会」が24年6月にスタートした。これは旅館だけでまちづくりを決めるのではなく、商店や住民の皆さんの意見をしっかりと合意形成しながら進めようという趣旨で始まった。
ハード面の課題はまだ多いが、約1年活動してきて変わったと感じるのは、和倉の空気が少しずつ変わってきたことだ。住民の皆さんも「今までの和倉も素敵だったけど、これからもっと創造的に復興していくんだ」というマインドに変わってきているように思う。例えば、商店街で新しく商売を始めたいという人が出てきたり、街全体で、「めぐる」というテーマの中で新しい動きが生まれ始めている。
多田 これまで旅館が抱え込んでいたお客さまを、これからはどんどん外に出て、街を巡ってもらおうと協議会で発表しているので、「それなら和倉に店を出せば商売になるかもしれない」と考える人が出てきたということだ。
奥田 震災前に戻せばいいという考え方もあるが、残念ながら建物全体の規模をそのまま維持することはできず、各旅館ともサイズダウンせざるを得ない。その中で、現状復旧では駄目だと考えた。連泊していただく、和倉の街全体を楽しんでいただく、さらには和倉に泊まって能登半島全体を巡っていただく。そういった前向きな視点、ただ戻すだけでない「創造的復興」という観点を盛り込んだ。
そのためには旅館だけでなく、商店の皆さんや、隣町の一本杉、能登島、もっと言えば能登半島全体の皆さんと意見交換し、合意形成しながらまちづくりを進める必要がある。この1年間、丁寧にプランをつくってきたつもりだ。
渡辺 このプランを和倉の中だけでなく、外部へ発信したらいいのではないかというアドバイスもあり、東京で発表会を開催した。
奥田 昨年3月に、協賛いただいている多くの企業などに向けて復興プランの発表会を行った。今年も開催する予定で、年に1回、東京で進捗状況を報告させていただく形だ。何百人という方が来てくださり、それだけ和倉温泉が注目されているのだと、ありがたく感じている。
――プランの実現に向けて、具体的な動きは。
奥田 プランを実現するため、行政と連携してもう一歩踏み込むために、「まちづくり会社」が設立された。谷﨑理事長と私、そして地元の商店連合会長が中心となり、復興プランを実行力をもって進めていくための受け皿となる会社だ。
谷﨑 和倉には観光協会、旅館協同組合、商店街、そして創造的復興協議会と、さまざまな組織がある。これらを一体化し、国や県、市との話し合いを進めていく必要がある。まちづくり会社はその機能を持った組織だ。
スピードが何より大事だ。震災から2年たったが、あっという間に3年、4年とたってしまう。時代のスピード感は今までと全く違うので、早く手を打たないと置いていかれる。まずは旅館組合と観光協会、商店街が中心となり、次第に大きな輪を作っていきたい。
奥田 良かったことは、全ての旅館が一致団結したことだ。旅館と商店、地域が一体になったとも感じる。私自身は和倉で一番小さな旅館の、いわば一番の若輩者だが、そんな私が観光協会長をさせていただいている時点でもう、10年前、20年前では考えられないことだ。それくらい、皆さんが一体となっている。
多田 これまでは、小さな旅館の経営者はこうした動きに参加したり、発言したりすることに遠慮があった。しかし今回は旅館の規模に関係なく、皆で一つの目標に向かって同じ目線でやろうということになった。小さいから意見が言えない、という雰囲気がなくなったことがすごく良かった。
渡辺 私も一昨年、加賀屋の社長に就任するまで、まちづくりには関与できていなかった。参加させていただくようになって感じたのは、理事長はしっかり動いてくださるし、奥田さんと多田さん、そして多田健太郎さん(多田屋社長)は、規模に関係なく、地元・和倉温泉に対する熱意がものすごくある。
そして、このプランが地元の人、県外からのお客さま、商売をしている人たち、その全てがうまくいかなければいけないという発想で進められている点が素晴らしいと感じた。商売、生活、文化、どれが欠けてもいけない。不幸にも震災という共通の課題が降りかかったが、今、本当に皆で和倉温泉をどうするか、真剣に、かつ熱意を持って話し合っている。
奥田 「和倉トーク」という名前で住民の皆さんとの意見交換会も重ねてきた。原点にあるのは、1月1日の震災直後の出来事だ。400人対応の和倉小学校の避難所に、住民800人と観光客1200人の計2千人が避難した。後に防災の専門家が検証した際、ここでけが人が1人も出なかったのは奇跡だと言われた。
その理由をひも解くと、まず各旅館のスタッフがお客さまを優先して避難誘導したこと。そしてもう一つは、住民の皆さんが、極限状態の中で観光客を温かく受け入れ、励まし合いながら乗り切ったことだ。そこには、観光地で長年培われてきた住民の皆さんのおもてなしの精神、プライドがあった。だからこそ、これからのまちづくりは住民の皆さんの意見をいただきながら一緒に進めるべきだと強く感じた。
多田 町の人たちが和倉温泉を誇りに思ってくれているのだと思う。だから、お客さまにきちんとしてあげるのが当たり前、という感覚が自然と根付いているのだろう。
谷﨑 これまでのまちづくりは旅館が中心だったが、これからは旅館・住民全体が一体となって町を作っていくのだという考え方に変わった。定住人口と交流人口、両方を迎えるためには、そういう形が必要だ。イベント一つやるにしても、これまでは町は町、旅館は旅館でやっていたが、今後は一緒になってやっていく必要がある。
多田 震災直後、旅館が正月用に仕入れた大量の食材を、炊き出しのために全て提供した。それを商店街の飲食店の方たちが取りに来てくれて、そこで連携が生まれた。それがきっかけになったのかもしれない。旅館の食材は質が良く、良いものを使ってもらえたし、そうした交流が広がっていった。
各旅館の復興計画は
――それぞれの宿の本格的な復興に向けた計画や取り組みについて。
谷﨑 営業は再開したが、まだ100%ではない。完全に復旧してから動くのと、途中で動くのとでは従業員の動きも違う。営業が始まると、どうしても目の前の仕事が優先になり、片付けなどが後回しになるという弊害もある。しかし、早くある程度の形にしないと、次の戦略に進めない。そして何より、営業しないと雇用も守れないし、世間から忘れられてしまう。だから、とにかくなるべく早く、「和倉温泉ここに在り」とアピールして取り組んでいきたい。
現在、一般のツアーはまだほとんどないが、県が推進する「今行く能登」「今行ける能登」といった事業の中で、ボランティアや視察旅行の方々が訪れている。観光協会でも語り部と街を歩く体験プログラムなどを提供しており、護岸の工事現場を見学できる場所も設けた。護岸工事は本来5年かかるところを2年前後で終わらせるという、国や県が非常に力を入れてくださっている事業で、今しか見られないものだ。
渡辺 うちはまだ再開まで時間がかかるので、この立ち止まる期間を、これまでの加賀屋のあり方を見直す良い機会と捉えている。
コロナ禍以前から旅行スタイルは団体から個人へと変化していた。当社でもこの流れを顕著に感じており、これまで「こうしたい」と思いながらもできていなかった課題をクリアする機会にもしたい。
当初は既存の建物「雪月花」「能登渚亭」を使いながらの再建を考えたが、さまざまな課題から断念し、新しいスタイルで再建することにした。グループとしては、4ブランドあったものを「松乃碧」を加賀屋に統合し、「新・加賀屋」「あえの風」「虹と海」の三つの建物で展開する。
一番大きな変更点は、「新・加賀屋」の場所だ。当初は温泉街の奥まった敷地で計画していたが、まちづくりの議論に参加する中で「めぐる」というキーワードが出てきた。旅館の中だけで過ごしていただくのも一つの魅力だが、やはり和倉温泉を回遊していただきたい。それならば、町の中心に近い旧「松乃碧」があった敷地の方が良いだろうと考え、思い切って場所を変更した。各館のオープン時期は、26年下期以降、順次営業再開を目指している。
「おもてなし」という軸はぶらさず、「七尾湾とつながる」「和倉の町とつなげる」「加賀屋の歴史をつなぐ」という三つの視点で、加賀屋らしさをもう一度考え直す機会にしたい。
奥田 うちは23年の1月1日にリニューアルオープンしたばかりで、ちょうど1年後の震災だった。被災した建物を見た瞬間、もう旅館を廃業しようと思った。しかし、まちづくりの議論に参加し、同業者や全国の仲間から勇気をもらい、もう一度やろうと決意した。一度はやめようと思ったのだから、いっそのこと、この復興プランに完全に則った旅館にしようと考えた。
次の旅館は、食事は提供せず、お客さまには街を食べ歩き、巡ってもらう。温泉文化は大切に継承しつつ、町の再建と一心同体で成り立つ旅館を目指す。客室は以前の8室からさらに減らして4室にし、長期滞在も可能なコンドミニアム形式とする。キッチンも完備し、自炊もできるし、商店街で食事もできる。そういう旅館が1軒くらいあってもいいだろうと。オープンは26年7月1日。売りは温泉と、町の復興そのものだ。
多田 うちは客室数を68室から48室に減らす。解体した中央の建物の跡地には、1階にエントランスとロビー、2階にレストラン、3階から5階に各8室の客室を設ける。特に2階のレストランは、海の素晴らしい景色を生かし、ひさしを水盤にしたインフィニティレストランにする。海と夕焼けが一体となるような、非常に写真映えする空間になる予定だ。
また、今回はハード面から従業員の働きやすさを徹底的に考えた設計にしている。例えば、エントランスの自動ドアをぐっと奥に配置し、屋根付きの大きなピロティを設けることで、悪天候時でもお客さまの荷物の積み下ろしが楽にできるようにする。従業員が楽に働ける環境を整えることで、その分おもてなしに集中できる。これからはお客さまを集めるより、働き手を集める方が難しい時代になる。働きやすさ、スキルアップできる環境、そして給料の向上を目指したい。全面オープンは27年の10月10日を予定している。

――本格的な復興に向けて、行政や旅行業者など関係者に求めたいことは。
多田 行政にはスピード感をもって対応していただきたい。非常時であるにもかかわらず、通常時のシステムを適用しようとすることがある。もっと柔軟な対応をお願いしたい。
谷﨑 行政には、和倉温泉だけでなく、七尾市全体、能登全体をつなぐ広域的なプランニングの旗振り役となってほしい。和倉、能登島、一本杉商店街など、ばらばらではなく、一体となって回れる形をつくらなければ、和倉だけでは生き残れない。今はまだ、それぞれの地域が分断されているように感じる。地域の高齢化は進み、予算もなくなっていく。皆が復興しようという気持ちになっている今、密に話し合いを進めないと、時間だけが過ぎて何もできなくなってしまう。
また、海という資源がありながら、それを生かし切れていない。タクシー運転手も不足している。自動運転の導入や、能登島や他の地域と結ぶ船の運航など、大きな視点での交通インフラの議論も必要だ。
渡辺 まず、自助努力が必要であることは大前提だ。その上で、護岸工事を国や県の事業として進めていただいたことや、雇用調整助成金などの支援は非常にありがたかった。しかし、課題はまだ山積している。この災害の規模と復興の困難さは他に類を見ないものであり、前例にとらわれない対応をお願いしたい。
具体的には、建築費用の高騰が深刻な問題だ。特に能登エリアは相場がさらに高騰していると聞く。「なりわい再建支援補助金」は大変ありがたい制度だが、制度ができた当時と今とでは建築相場が全く違う。15億円という上限額を、物価上昇分を補填(ほてん)するような形で上乗せしていただくといった柔軟な対応を検討してほしい。
また、この補助金は1事業者当たり15億円となっているが、複数の施設を持つ事業者にとっては実態と合わない。旅館以外でも同様の課題を抱える事業者がいると聞くので、1施設単位で見ていただけるようお願いしたい。
そして、旅館・ホテルは地域経済に与える波及効果が非常に大きい。また、災害時には避難所としての役割も担う。そうした存在意義をアピールしながら、復興へのサポートをいただきたい。
奥田 これだけの規模の温泉地が、4年も5年も営業できないという被害は、日本の観光史上初めてのことだ。前例がないことが今、ここで起きている。護岸工事や雇用調整助成金の特例措置の延長など、これまでも前例を超える支援をいただいたことは事実だが、まだまだお願いしたいことは多い。今、ここで成し遂げた復興は、将来、日本の他の温泉地や観光地が被災した際のモデルケース、一つの前例になるはずだ。
これはもはや和倉だけの問題ではなく、全国の温泉地・観光地の問題だと認識している。この苦しい状況を乗り越え、温泉地観光地の創造的復興のモデルとなるべく、地元一丸となって前に進んでいきたい。
また、「温泉文化」のユネスコ無形文化遺産登録が実現すれば、能登半島復興の大きな力になるはずだ。認定されることを心から願っている。




