【観光立国・その夢と現実 68】私の人生訓④ 小原健史


 前回から、私の30歳代前半に資金繰り難による心身症に陥ったことを記載しているが、教訓としては【カネがない時、布団の中で大声で泣こうが叫ぼうが、翌朝、枕元に札束は積み上がらない!】、言葉を代えれば【喜怒哀楽よりもワンアクション】すなわち、人間は喜怒哀楽を感じて生きているが、それに振り回されてはいけない。苦しみや悲しみに陥った時は、それを打破するアクションを起こそう!ということでもある。

 前回の記載と重複するが私の心身症のその背景は次のようなことであった。

 50年ほど前、山陽新幹線の博多開業直後の嬉野温泉は各旅館ともに連日満員に近い盛況であったが、そのブームも数年後には落ち着いて、わが和多屋別荘は、タワー館の建設で客室が100室から一気に180室になった。

 投下した20数億円の資金は全額借入金に頼っていたので、その元利返済が思うように進まなくなり、また、評判の高かった料理や従業員のサービスも、倍増した規模で希釈されたようで苦情も増大した。特に資金繰りの【オカネ】の不足する苦しみは心臓を射抜かれる感覚で、毎月末の資金不足が1年以上続くと、毎月20日過ぎには、頭が割れるほど痛くなるか、お腹の調子が狂いもがくようになり、私はひどい心身症に陥った。

 日に日にひどくなる自分の行動に自分自身がついていけなくなるような苦悶(くもん)の日々が続いた。それは、時々心臓がドキドキして、自分は心臓が止まるのではないか?とパニックに陥ったりして、その結果、運動が全くできなくなった。

 また、不潔な話ながら温泉源所有者の私自身がお風呂に入れなくなり、さらに不潔神経症に進み、大好きだったすしや刺し身などを食べられなくなるほどで、当たり前の話だが少し匂いのついた生魚を腐り始めた魚だと勘違いして、人差し指をのどの奥に突っ込み吐き出そうとして、一晩中眠れぬ夜を過ごしたこともあった。

 不潔神経症のその頃の私は、何しろ手を洗う。朝昼晩の3回の食事前に毎回20分から30分はせっけんで手を洗う。牛乳せっけんを3日か4日で1個洗い流すほどのすさまじい状態に陥った。

 しまいには、父や母が私の言動の異常さに気付き、病院へ行くことを勧め、恩師である福岡市の森田譲康先生のご厄介になって九州大学の精神科に診てもらうことになった。検査の結果は自律神経が異状に乱れているとのことで、博多駅前の心療内科の先生を紹介され通院することになった。

 カウンセリングを受けて自分の頭はリフレッシュしたが、しかし、肝心の旅館の現場は何の変わりもなく、多額の投資をしたが、予定通りの売り上げにはならず資金繰りはなおいっそう厳しいままで、社長の私が半日会社を空けたことが、さらに会社を劣化させたかのようだった。 

 病院での検査やカウンセリングは重要だったが、私の病の源は私の頭脳や五体ではなく、旅館自体だったのだから、自分自身の治療よりも、自分の旅館自体を元気にするべきだった。

 しかし、当時の私にはそのことは分からず悶々(もんもん)とした日が続いた。【7錠の元気になる薬】は、後日聞けば自殺防止の薬であったようで、実際に1週間に1回のカウンセリングを受けたその日は頭の中が多少すっきりしたものの、自社に戻れば、何も変わらぬ資金難の現状と、相も変らぬ体調に絶望に近いものを感じ、10回目の診察を受けた後は、もうだめだ死のう!と、博多駅から列車に乗って唐津方面へ向かった。そして、虹ノ松原駅で下車し唐津の海へ向かった。

 松原の中の懐かしい風景は、子供の頃、この海辺の三軒茶屋の海の家を父が経営していたこともあり、自然とこの砂浜へ足が向いたようだ。私はしばらく夕焼けの砂浜を眺めていたが、意を決して背広姿のまま海の中に入っていった。

(元全旅連会長)

 
 
新聞ご購読のお申し込み

注目のコンテンツ

第38回「にっぽんの温泉100選」発表!(2024年12月16日号発表)

  • 1位草津、2位道後、3位下呂

2024年度「5つ星の宿」発表!(2024年12月16日号発表)

  • 最新の「人気温泉旅館ホテル250選」「5つ星の宿」「5つ星の宿プラチナ」は?

第38回にっぽんの温泉100選「投票理由別ランキング ベスト100」(2025年1月1日号発表)

  • 「雰囲気」「見所・レジャー&体験」「泉質」「郷土料理・ご当地グルメ」の各カテゴリ別ランキング・ベスト100を発表!

2024年度人気温泉旅館ホテル250選「投票理由別ランキング ベスト100」(2025年1月13日号発表)

  • 「料理」「接客」「温泉・浴場」「施設」「雰囲気」のベスト100軒