【学術×現場28】旅館を旅館たらしめるものは、何か 福島規子


福島氏

 日本の旅館における対人接客サービスは、顧客の表情や態度、話し方、沈黙の含意など、非言語的な手がかりに依拠して、相手の要望や感情を読み取る高度な「ハイコンテクストサービス」の典型と言える。その本質は、接客係がマニュアルに書かれていない顧客のニーズを自らの感性と経験をもとに察し、最適な行動をとる「配慮行動」にある。
 
 たとえば多弁ではない一人旅の客に対し、あえて積極的に話しかけるのではなく、静かに茶を差し出すことで疲労や静寂への欲求に応えることがある。このような行動は、形式的な応対から逸脱するどころか顧客理解の深さに基づく極めて質の高いサービスとも言える。つまり、旅館の接客は、あらかじめ定義されたサービス行為ではなく、「個」に即した気配り=配慮行動を核にして成り立っているのである。
 
 しかし、こうした配慮行動は本来的に個別的・属人的であり、同じような対応を全スタッフが即座に実行できるわけではない。ここで注目すべきは、こうした行動が他者に模倣され、組織内で共有されることで、「配慮行動を内包したサービス行為」へと進化する点である。たとえば、先輩スタッフがとった気遣いが、後輩スタッフに観察され、「この場面では、このようにふるまうのが望ましい」という経験知として蓄積される。これが繰り返されることで、暗黙的で属人的だった配慮行動が形式知化され、組織全体に浸透していく。
 
 このような知の共有は口頭での共有やOJTだけでなく、研修や業務日報、振り返りミーティングなどを通じて促進される。特に「なぜその行動をとったのか」を言語化し、それを他者とともに検討・理解するプロセスが、サービスの精度と再現性を高めていく鍵となる。
 
 筆者が指導するレストランでは、以前は「1人で2卓2回転」だった担当制を、先月から「1チーム3人で3卓2回転」とし、1卓を複数のスタッフで担当する接客スタイルに変更した。1卓あたり2名~4名の顧客に対し、コース料理のうち何品かは必ず2名で同時に提供する。これにより、個人の気づきがチーム内で共有されやすくなり、配慮行動を伴うサービスも頻繁に提供されるようになった。
 
 この過程で培われた行動はやがて標準化されたサービスとして定着し、スタッフ全員が自然に行えるようになる。こうしてハイコンテクストサービスは、配慮行動を出発点としつつ、組織内に蓄積・再生産されることで高次に発展していく。
 
 つまり、旅館の対人接客サービスの真髄は、「一人の卓越した接客者の配慮行動」が、組織という学習の場を通して形式知化され、洗練された「共通のふるまい」として継承されていくダイナミズムにある。それは単なるサービス提供ではなく、日本文化が培ってきた感性や関係性の技術、また、「察し」「気遣い」「模倣と継承」といった高度な社会的知の運用であり、文化的儀礼や人間理解の総合芸術とも言える。
 
 旅館を旅館たらしめているのは、これらの旅館が独自に開発し、進化させてきた「おもてなし」のあり方と、それらの体現者である接客係の存在にある。最近では、到着時の呈茶や部屋食提供の廃止に伴い、部屋係が顧客と接する機会や時間も減少しつつある。だが、部屋係が旅館のもてなし文化を継承する一翼を担っていることは、紛れもない事実であり、決して忘れてはならない。
 
福島 規子(ふくしま・のりこ)九州国際大学教授・博士(観光学)、オフィスヴァルト・サービスコンサルタント。

 
 
新聞ご購読のお申し込み

注目のコンテンツ

第38回「にっぽんの温泉100選」発表!(2024年12月16日号発表)

  • 1位草津、2位道後、3位下呂

2024年度「5つ星の宿」発表!(2024年12月16日号発表)

  • 最新の「人気温泉旅館ホテル250選」「5つ星の宿」「5つ星の宿プラチナ」は?

第38回にっぽんの温泉100選「投票理由別ランキング ベスト100」(2025年1月1日号発表)

  • 「雰囲気」「見所・レジャー&体験」「泉質」「郷土料理・ご当地グルメ」の各カテゴリ別ランキング・ベスト100を発表!

2024年度人気温泉旅館ホテル250選「投票理由別ランキング ベスト100」(2025年1月13日号発表)

  • 「料理」「接客」「温泉・浴場」「施設」「雰囲気」のベスト100軒