大好きな歴史小説作家、今村翔吾の「蹴れ彦五郎」を読みながら時間をつぶす。場所は友人が待ち合わせ場所に指定してきた赤坂のキャピトル東急ホテル。
作中「太田道灌が江戸城の西側に星ヶ丘城を築城した」とある。「ほしがおか」と言われて頭をよぎるのは偉人北大路魯山人の「星ヶ丘茶寮」。どちらの星ヶ丘もまさにこの場所にあったらしい。こんな偶然に出くわして、この日も素晴らしい1日となったことは言うまでもない。
30年以上前に「独歩 魯山人芸術論集」(平野武編著)をいただいたのが魯山人との出会い。金融業界から転じ、実家のホテルを経営していた時期でもあり寝るのも忘れて読みふけったことを思い出す。
もし彼が今も生きていたら何を言うのだろうかと勝手に想像してみた。
「便利を尊び、速さを競い、物に溺れて心を失う姿、誠に憐(あわ)れむべし」「人は食して生きるものにあらず。食をもって、心を養い、美を悟るもの。されど今の世では腹を満たす手段となりぬ」「器の美を知らず、味の深淵を知らず、ただ写真を撮りて満足する。愚の極みなり」「美とは金を積みて得るものにあらず。己が手と心にて磨くものなり。器を選ぶに理を知り、一碗の飯を炊くにも誠を尽くせ。そこに美は息づく」「手間をおしむな。手間とは命の香りを育む時。手を動かし火を見つめ土をこね、その中に人は美を覚える。それを怠り機械にゆだねては美は見えぬ」「流行に流されることを恥とせよ。己の目を信じ己の舌を鍛えよ。美は群れず孤高にして初めて光る」「食を粗末にするは人生を粗末にするに同じ。米一粒にも天地の働きを見よ。感謝を知らずして、真の味など悟れるはずもなし」「美の追求なしに幸福はない。美を知るとは生きることを知ることなり」
スマートフォンの普及やSNSなどコミュニケーション手段の多様化により、グルメ礼賛菌は増殖し続けている。供給する側としては売り上げが必要なので、あの手この手を駆使せざるを得ないかもしれない。料理の神髄などに構っておられないという気持ちもわからないではない。しかしその結果、奇をてらいこねくり回し、愛情のかけらも感じられない料理やお店が数多く存在する。しかしその一方で「こんな所で、こんな人が、こんな料理を提供している、なんと幸せなことか」という瞬間を結構体験するのも事実。世の中まだまだ捨てたものではない。
日本食や日本のおもてなしは間違いなく日本のソフトパワーの代表だ。その真実を堪能するため海外からも多くの人々が来日している。そのような時代だからこそ、旅館ホテルや飲食店などをはじめとする、有料で口に入れるものを提供する側としては、少なくとも魯山人の教えを実現しようとする気概を持ち続けてほしい。
(EHS研究所会長)




