梅雨真っただ中の東京、久しぶりに上京してきた旧友からの電話。「先生のことを思い出しながらウナギでもどうかな」「じゃあ昔先生と食べた野田岩だね」ということで、東京タワーのそばにあるお店を訪ねた。「ウナギは東京に限る」と言ってはばからない友人と、先生、そして池波正太郎さんの話に花が咲いた。先生が「おまえたち東京で仕事をするならこれは読んでおけ」と奨めてくれた「男の作法」の著者だ。この本が出版されたのは1981年、著者50代後半のころだ。
この本の「はじめに」には、「男というものが、どのように生きてゆくかという問題は、結局、その人が生きている時代そのものと切っても切れないかかわりを持っています。この本の中で私が語っていることは、かつては『男の常識』とされていたことばかりです。しかし、それは所詮(しょせん)、私の時代の常識であり、現代(いま)の男たちにはおそらく実行不可能でありましょう。時代と社会がそれほど変わってしまっているということです」とある。
当時、社会人になりたての私たちに対して「お前たち大丈夫か」と言われている気がしたことを思い出す。また、当時は知る由もなかったが、この本が私の故郷にほど近い湯布院の名旅館で著されたことを思うと、今、読み返すことに深い意味があると思わざるを得ない。
ここで内容を一部引用してみたい。
「鮨(すし)屋へ行ったときはシャリだなんて言わないで普通にゴハンと言えばいいんですよ」「男の顔をいい顔に変えていくということが男をみがくことなんだよ。いまのような時代では、よほど積極的な姿勢で自分をみがかないと、みんな同じ顔になっちゃうね」「そばのつゆにしても、つゆが薄い場合はどっぷりつけていいんだよ」「唐辛子をかけたかったら、そばそのものの上に、食べる前に少しずつ振っておくんだよ。唐辛子の香りなんか消えちゃうじゃないか」「サービス料がある場合はチップはいらないというのは、これは理屈です。だけどね、かたちに出さなきゃわからないんだよ、気持ちというものは」
そしてウナギについては「おこうぐらいで酒飲んでね、焼き上がりをゆっくりと待つのがうまいわけですよ」とある。店構えについても「食べもの屋というのは、まあどんな店でもそうだけど、店構えを見ればだいたいわかっちゃう。中へ入った場合、まず便所がきれいな店じゃなかったら駄目だね。宿屋でもそうですよね」と厳しい。
梅雨の晴れ間「男の作法」を片手に都内を散策しながらつらつらと考えた。正太郎さんが生きてたら私に何と言うのだろうかと。
「他人の言うことや世の中の流行に流されず、信念をもって生きろ」
「人生も食事も丁寧に今を味わえ。たとえコンビニの飯でも美しくいただく工夫をしろ」
「他人への配慮を忘れるな。SNSを使うのもいいが、見せない格好良さや見せない優しさこそ価値がある」
「伝統文化や美意識を日常に生かす工夫をしろ」
美意識と矜持(きょうじ)、自分を知りさりげなく美しく生きることの大切さを痛感した。「いい顔」になりたいものです。
(EHS研究所会長)




