金児氏
宿泊が街を豊かにする
観光はこれからの日本を支える地方の糧だ。
私は奈良で旅館業法に基づく宿泊施設を運営している。業態はホテルと民泊の中間にあり、現在19施設131室を展開し、大阪にも4施設を構える。現在年間約6万人を受け入れているが、奈良市全体の旅館・ホテルの売り上げは減っていない。民泊を敵視せず旅館・ホテルと共存し、新しい需要を取り込み、地域の市場を広げてきた。これが「間の宿」が果たす役割だ。
さらに宿泊者が街に出て飲食し体験を楽しむことで地域の消費が生まれる。私たちは宿に食事を付けず、街にお金が落ちる仕組みを作っている。6万人が1人5千円を使えば、奈良の飲食店には年間3億円以上が還元される。飲食店の売り上げが増えれば、雇用が生まれ若者が地元で働ける環境が整う。宿泊とは地域経済を動かすエンジンである。
過日私は家族で1カ月間、ヨーロッパを旅行した。その費用は約400万円に達した。半分は民泊を利用した自炊中心の旅だったが、それでもこの金額になる。この時に感じたことは、「高価な旅」だからではなく、長く滞在し文化や生活に触れること自体が「高付加価値」な体験だということだ。
近年、奈良を含む日本の各地で、富裕層をターゲットにしようという動きが盛んに見られるが、この「富裕層」をどう捉えるかが問われている。日本では「富裕層=豪華な旅」と捉えられがちだが、本来の価値は「滞在の深さ」にある。地元の人がすすめる喫茶店、職人の作業場、夕暮れのまち歩き。さらに街に長く滞在すれば、地元の市場で食材を買い自ら料理をする時間さえも旅の一部となる。暮らすように泊まることが滞在の深さを生む。私たちは宿を通じてその入り口をつくりゲストの感情を動かす仕掛けで再訪や長期滞在へとつなげている。
いま日本はインバウンド4千万人時代から6千万人時代へ向かっている。観光客が大都市だけに集中せず地方に広がるためには、地域文化と調和した宿泊のかたちが必要だ。
私たちが奈良で実践してきた「共存と循環」とは、民泊や小規模宿がホテルや旅館と競うのではなく、異なる旅のスタイルを受け入れ合いながら地域全体の価値を高めていくことを指す。宿の多様化が観光の裾野を広げ、滞在の深さを生み、それが地域に経済を循環させる力となる。
宿が街を支え街が宿を育てる―その往復の中にこそ、日本の観光の未来がある。観光することで地域を感じ、知り、考え、互いの文化を尊敬し合える。観光には世界の分断を和らげ人と人をつなぐ力がある。私はその入り口としての宿泊に、これからの希望を見ている。

金児氏




