
白いウエディングドレスがひときわ映える新緑の軽井沢。「石の教会 内村鑑三記念堂」で新郎の母として臨んだ挙式は荘厳で、胸に迫るものがあった。回廊式のバージンロードは人生の曲折と、これからのまっすぐな道のりを意味するのだそう。その一本の道には自然の光がさしこみ、新婦を、より一層、美しく照らしていた。
「育ててくれた親や家族に、心から感謝を伝える会にしたい」。そうした2人の想いが、「星野リゾート 軽井沢ホテルブレストンコート」の“ヨコブキヴィラ キカフ”を選ぶ決め手になったらしい。当方へ相談なしに2人で決めたサプライズゆえ、口出しせずに見守った。
そのキカフは森に囲まれたプライベート空間で、ダイニングではフレンチのコース料理をシャンパン片手に和気あいあい、話も弾んで両家の距離が、一気に縮んだ感じがした。
それにパーティー会場と客室が、1棟に集約されているのもよかった。宴のあとは自室で黒留袖の帯を解き、再び皆と合流して、テラスやソファで飲み直した。「旅行気分で楽しい」と、誰もが口々にしてリラックスしている。都会のホテルやレストランウエディングとは一線を画したスタイルで、談笑のうちに夜も更けた。
実は前日、老父に弟、息子らと身内だけで「星のや軽井沢」に泊まり、「日本料理 嘉助」で夕食を囲んだ。亡き母の遺影も持参して、前祝をしたのである。
女手一つで育てあげた長男は、明日がハレの日。年子(としご)の次男と一緒に、「星野温泉 トンボの湯」で汗を流して式に備えた。サウナ好きの次男は宿泊者専用の「メディテーションバス」も堪能して、すっかりリゾート気分で式当日を迎えたのである。
鳥のさえずりで目が覚めた。水辺にはカモの親子が仲よさそうに泳いでいる。ジューンブライドで心配なのは天気だったが、両日ともに快晴の青空で、夜は星を眺めて回想にも浸れた。
話は変わるが、さかのぼること1970年代初め、両親に連れられて「星野温泉旅館(当時)」を毎月のように訪ねた。今の「星のや軽井沢」の前身である。喘息(ぜんそく)持ちだった母が、旅館の敷地内にある診療所で治療を受けていた。父が自動車会社に勤務していたので交通手段はマイカーが主だったが、ときどき鉄道(今は廃線の碓氷線)も利用した。横川駅で車窓越しに「峠の釜めし」を買うのが子どもながらに楽しみだった。
それが今から7年前、星野リゾート・星野佳路代表と対談したときのこと。ふと思い出して当時の話をしたところ、その医師こそが代表の実のご祖母様と聞かされて驚いた。合縁奇縁(あいえんきえん)とは、まさにこのこと。時空を超えての縁(えにし)が、今につながっているようである。
このたびは、星野リゾートのスタッフの皆さんによる丁寧なご対応を、誠にありがとうございました。着付師の確かな技術に至るまで(着付師範の免状をもつ筆者としては一応、力量がわかるつもり)、脱帽の連続だった。そして、辣腕(らつわん)広報ウーマンの森下真千子さんには、心より御礼申し上げます。かつて取材で、案内いただいた教会で、まさかわが子の晴れ姿をみることになろうとは。
気がつけば星野リゾートがある人生。感動をありがとう。
(淑徳大学経営学部観光経営学科学部長・教授 千葉千枝子)