
生田久美子氏が提唱する「わざ言語」は熟練者が技術や感覚を伝える際に用いる、暗黙知を含んだ言語表現を指す。これは単なる指示語ではなく、学び手の感覚や認知を誘導する触媒のような役割を果たすとされている。
たとえば、歌舞伎の演技指導では、「もっと空気を吸って」「そこに間を置いて」と、感覚を喚起する言葉を用いて演者自身が身体感覚を通じて役に近づいていけるよう仕向けていくという。また、和太鼓奏者は「音を転がすように」「風を切るように打つ」などの抽象的比喩で、演奏者の身体動作やリズム感覚を導き、感覚の共有を促していく。さらに、陸上競技の指導者も、「地面を押す感覚」「風に乗るように」といった自らの感覚を言語化することで、指導者と選手が感覚の共有を図り、技術の習得を狙う。『わざ言語:感覚共有を通しての「学び」へ』(慶應義塾大学出版会)。
旅館のもてなしにも、感覚を言葉に変換して接客技術を伝授していく、わざ言語がある。
たとえば、「ソビバビソビ」。はじめて耳にしたときは、何のことやらと思ったものだが、これは酒の注ぎ方のことで、漢字では「鼠尾、馬尾、鼠尾」と書く。注ぎ始めは鼠(ねずみ)の尻尾のように細く、次第に馬の尾のように太目に注ぎ、再度、鼠の尻尾のように細くして、止める。
接客指導の現場でも、もてなす際の感覚を手掛かりに、美しい所作を鍛錬し身体化させることが接客の基本であると口うるさく、耳にタコができるほど言い続けている。
美しい所作が身に付いた接客係は「ソビバビソビ」など唱えることなく、杯あるいはグラスに、酒をピタリと注ぐことができる。プロの技である。
教育学が専門の生田氏は、学びのプロセスには「タスク状態」と「アチーブメント状態」があるとし、タスク状態とは方法を探りながら試行錯誤する段階で、アチーブメント状態とは技が身体に定着し意識せずとも自然に発現する状態という。いわば、前者は「どうすればできるか」を考えている状態で、後者は「できてしまっている」感覚とも言える。
旅館の料理提供を例に挙げよう。お造里の提供時に「お造里が先? しょうゆ皿が先?」と手順を思い出しながら作業をするのがタスク状態。ここではマニュアル通りにお造里を提供することに重きが置かれ、美しい所作や顧客の状況などには思いが及ばない。
一方、流れるような所作でお造里を提供し、顧客が新鮮な魚の輝きや盛り付けにうっとりとする間合いを読んでからしょうゆ皿をつけるのがアチーブメント状態である。お造里としょうゆ皿を順序正しく「提供できるようになった」こととは別次元で、「できてしまっている」感覚が重要なのである。
つまり、生田氏の「わざ言語」理論では、アチーブメント状態とは、(1)技能の身体化、(2)感覚的に再現可能、(3)他者に言語化して伝えられる、(4)自分の中で達成感・納得感があるといった四つの要件を備え、なおかつ技能や知識の学習プロセスの最終段階を指す概念と位置付けられている。
今後、旅館の対人接客サービスを高付加価値なものとして位置付けていくためには、「できるようになる」ことを目標とするのではなく、その上位にある美しい所作やもてなしのセンス、感覚を目指す必要があるだろう。
現場にはタスク状態をアチーブメント状態へとつないでいく「わざ言語」が多数埋もれているに違いない。
福島 規子(ふくしま・のりこ)九州国際大学教授・博士(観光学)、オフィスヴァルト・サービスコンサルタント。