
井上氏
災害にも制度にも強い 観光のかたち
ポストコロナの観光再生が進む中で、制度設計と現場の実態との間に静かな齟齬(そご)が生じている。とりわけ観光施設への支援構造は、移動や滞在といった「機能価値」に基づく業種に偏重し、飲食・物販・体験など、「感情価値」を担う施設が制度の外縁に追いやられている。
しかし旅の満足や地域への愛着は、移動や滞在だけでは完結しない。訪れた先での味覚体験、地元の人々とのふれあい、風景や季節の手触りといった感情価値の積層によって形づくられる。こうした体験を支える観光施設は、文化資源やコミュニティの実演現場であり、観光者と地域を媒介する不可欠な装置である。
さらに、観光施設が果たす機能は平常時にとどまらない。近年の自然災害の激甚化にともない、多くの観光施設が避難誘導や電力供給、情報提供の拠点として地域に貢献している。大型駐車場、厨房、トイレ、Wi―Fi、多言語対応といった「ハード」と「ソフト」の両面において、防災目的に設計されたものでなくても、実態として防災機能を担っている。こうした「観光防災」の視点は、もはや制度設計に欠かせない基盤である。
加えて、観光施設の立地環境―自然、景観、街並み、歴史的環境といった外部要素も、訪問者と地域をつなぐ共有資産である。施設と環境は一体となって価値を形成しており、店舗前の緑化、街並みとの調和、眺望などが体験の質を左右する。こうした「環境インフラ」も準公共財として捉え、保全と支援の対象に含めるべきである。
にもかかわらず、支援制度はいまだに「業種分類」や「免許制度」といった形式基準に依拠しており、担い手の実態とかけ離れている。とくに地域の中小事業者や非営利団体、法人格、観光に属する免許を持たない運営主体は制度の網から漏れがちであり、観光の基盤を支えるにも関わらず正当な支援を受けにくい。
いま必要なのは、観光事業者の定義と制度設計の再構成である。何を営んでいるかではなく、地域で何を担っているかという観点から、実態に応じた柔軟な支援体系へ転換すること。施設が果たす公共的機能や周囲の環境資源の価値を正しく評価し、制度に組み込むことが求められる。とくに災害時の機能を明確に認定し、支援する「観光防災」政策の構築は、地域の安全保障に直結する最優先課題である。
観光とは、単なるぜいたくや娯楽ではなく、地域の文化と暮らし、そして未来を支える社会装置である。その本質に立ち返った制度転換こそが、観光の持続性と地域社会のレジリエンスを同時に実現する出発点となるのではないだろうか。
井上氏