
京都には、茶会の水屋仕事や神社・寺院の行事ごとあるいは冠婚葬祭の儀式を裏方で支えたり、料亭、お茶屋、個人邸などに出向き、設えを整え、料理の提供方法について仲居らに指示を出したりする「配膳司」と呼ばれる職種があった。原則として、色紋付に袴をつけた男性があたる。
フリーライターの笠井一子氏は、「配膳とは、あらゆる宴席、儀式、催しなどに際して高度な接客技術を持つ、いわば陰のコーディネーターである。茶の湯を初め、日本料理や器については言うに及ばず、日本の建築、また和風の室内装飾や建具のこと、冠婚葬祭のしきたりなど、一通りは心得ていなければならない職種だった」と著書『京の配膳さん』(笠井一子著・向陽書房)のあとがきで述べている。
同書では、配膳の長として長い間、第一線で活躍してきた大正12年生まれの吉崎潤治郎氏に丹念に話を聴き、配膳の極意について詳述している。
たとえば、吉崎氏いわく「下足札なしに客の顔を見ただけでサッと靴や草履が出て来んとあかんのですわ、京都では。同じ関西でも大阪の人は違いますね。どんな偉い人でも下足札ないと不安らしい。下足札くれ、言わはります。京都は逆です。下足札使わなわからんのか、ゆうことで、かえって気ィ悪しはる」と京都人としてマウントを取ってくる件には、思わず苦笑してしまった。もてなす側の力量を試すような、京都人の「もてなし消費力」が、結果として高い次元での京都の「もてなし力」を育んできたのだろう。
また、吉崎氏はもてなしの極意として「一つ引き」「配膳机」「右打ち」の三つを挙げる。まず、「一つ引き」とは料理を提供する際は、先に空いた器を下げてから、新しい料理を置くといった基本的ルールを指す。同席者がまだ食べているのに、空いた器を下げてしまっては相手に「早く食べて」と無言の圧力をかけることにもなる。また、膳の上を空っぽにしてしまっては、その客は周囲から「がつがつ食べる卑しい人」と見られかねない。
ちなみに、食べる側としては、上座の人が最後の一口を頬張るのを見てから、下座の自分が最後の一口を食べるようペース配分に気を配るのが基本的マナーである。顧客がこのことを心得ていれば、接客係は、常に、上座から器を下げ、上座から料理を提供することが可能になる。だが、実際は同席者の食べるスピードに関係なく、自分のペースで食べ進める顧客も少なくない。しかし、そのような場合でも、食べ終えた器は下げずに、膳の上が空っぽにならないよう配慮することが接客係の心得とも言える。
「配膳机」は、盆や脇取りを置くためのサービステーブルのことで、接客係はここから一品ずつ料理を手に取り提供していく。また、「右打ち」とは、顧客の右側からサービスをすることで、食べ終わっていない料理を左側に寄せてから、新しい料理を置くには都合がよい。利き手(大概は右手)で提供することで所作が美しく見え、顧客の前を腕で遮ることもない。このように器への手の添え方や差し出す角度まで注意を張り巡らせていくのが、接遇のプロ、配膳司なのである。
残念ながら京都の配膳司は時代とともに消滅してしまったが、日本の文化、風習の伝承のためにも「配膳司」の復活を切に願いたい。「配膳ロボット」に、配膳司の代わりは務まらない。
福島 規子(ふくしま・のりこ)九州国際大学教授・博士(観光学)、オフィスヴァルト・サービスコンサルタント。