
DX化の構想について語るホテル浦島の松下社長
楽天グループは7月30日から8月1日までの3日間、ビジネスイベント「楽天AIオプティミズム」をパシフィコ横浜で開いた。7月31日のビジネスカンファレンス「すべての企業にAI×DXを 〜共創で広がる業界エンパワーメントの未来」には、楽天モバイル共同CEOの鈴木和洋氏、浦島観光ホテル代表取締役社長の松下哲也氏が登壇。「伝統的な企業におけるAIとDXの進化」についてディスカッションした。
DX化の構想について語るホテル浦島の松下社長
低い労働生産性と人手不足が宿泊業界の課題
宿泊業は産業別の名目労働生産性と賃金において、全業種中で最も低い水準にある。内閣府「国民経済計算」(2023年)によると、宿泊業・飲食サービス業の労働生産性は年間約292万円で、最下位から2番目の低さだ。また、厚生労働省「令和5年賃金構造基本統計調査」では、宿泊業・飲食サービス業の月間賃金は259,500円と全産業中最下位となっている。
浦島観光ホテル代表取締役社長の松下哲也氏は「人手不足と高齢化が業界の大きな課題」と指摘する。帝国データバンクの「人手不足に対する企業の動向調査」(2023年4月)によれば、「人手不足」と回答した企業の割合は旅館・ホテル業が75.5%と全業種中1位だった。松下氏が社長を務めるホテル浦島では、従業員の平均年齢は48歳で、約3割が60代以上という状況だ。
観光産業とAI・DXの戦略的パートナーシップ
このような状況下で、和歌山県那智勝浦町に位置する創業70年のホテル浦島と楽天モバイルは、AI・DX活用に向けた戦略的パートナーシップを締結した。松下氏は「2024年以降、労働生産性と顧客・従業員満足度向上に向けた改革に着手している」と説明。具体的には、設備・施設のリノベーション、人材投資(賃上げ・育成)、外国人材の積極採用、そしてAI・DXの徹底活用の4つの改革を進めている。
AI・DX活用の背景について松下氏は「日本の人口減少、特に地方の人口減少が加速する中で、どうやってホスピタリティサービスを維持しながら事業を続けていくかが課題だ」と説明。「これは私たち1企業だけの問題ではなく、日本の観光業・宿泊業全体が直面する課題」だと強調した。
現場のホスピタリティを高めるAI・DX活用の実例
パートナーシップの下、ホテル浦島では具体的なAI・DX活用が始まっている。第一フェーズとして、コミュニケーション領域での活用が進行中だ。
外国人観光客とのコミュニケーション改善
海外からの観光客増加に伴い、メールでの事前問い合わせが多く寄せられているという。これまでは言語が堪能なスタッフが専属で対応していたが、「Rakuten AI for Business」を活用することで、誰でも均一かつ高品質な回答をスピーディに作成できるようになった。
ホテル浦島のスタッフは「AIが生成する文章は分かりやすく、そのままお客様にご案内してもよいくらいの品質」と評価。また別のスタッフは「返信に悩む時間が減り、その分を次のお客様対応の”仕込み”に使えるようになった」と業務効率化の効果を述べている。
多国籍スタッフとの言語の壁を解消
ホテル浦島では4カ国からの外国籍スタッフが働いているが、日本語のみを話すスタッフとのコミュニケーションが課題だった。そこで導入されたのが、楽天モバイルのインカムアプリ(バディコム)による自動翻訳システムだ。このアプリはスマートフォンにインストールし、発話内容がグループで共有されるだけでなく、文字起こしと翻訳も自動で行われる。各スタッフの母国語でテキストが表示されるため、円滑なコミュニケーションが可能になった。
ビュッフェレストランの効率化
広いレストランでの料理残量確認に人手と時間がかかっていた問題に対し、AIデバイスによる自動検知・通知システムの導入を進めている。残量の少ない料理を自動検知し、補充が完了したら顧客にサイネージで通知する仕組みだ。
松下氏は「単に料理がなくなるのを防ぐだけでなく、どの料理がどのくらいの速さで消費されるか、曜日傾向や顧客の国籍によって消費パターンがどう変わるかといったデータを蓄積・分析することで、最適な料理提供のタイミングを計画できるようになる」と説明している。
デジタルサイネージの多目的活用
施設内の情報提供において、これまでは印刷物が主流で更新に時間がかかっていた。そこでデジタルサイネージを導入し、混雑状況の表示や多言語での案内を実現。特に災害時には避難経路を即時に表示することが可能になる。
松下氏は「セッション当日の前日に津波警報が発令され、まさにこのシステムがあれば有効だったと痛感した」と語った。ホテル浦島のような広大な敷地では、場所によって避難経路が異なるため、デジタルサイネージによるリアルタイムの案内が安全確保に大きく貢献すると期待されている。
第二フェーズの展開と将来ビジョン
今後の第二フェーズでは、レストランDX、駐車場DX、設備管理DXへと展開する計画だ。レストランでは料理残量のモニタリングによる顧客体験向上、駐車場では防犯・管理レベル向上や送迎バス運行の最適化、設備管理ではリモート管理による労働力削減や予防保全による設備投資費削減を目指している。
松下氏は将来ビジョンについて「観光こそ日本を支える産業だと考えている。世界遺産や海、山、川といった自然は持続可能な観光コンテンツになり得る」と述べ、「人がやるべきところはホスピタリティに集中し、代替可能な業務はDXで効率化することで、人口減少下でも持続可能な観光業を実現したい」という考えを示した。
楽天モバイル共同CEOの鈴木和洋氏は「このような取り組みは観光業だけでなく、飲食や介護など全てのサービス産業に共通する」と指摘。「地方が元気になり、日本全体が元気になることに貢献できれば嬉しい」と述べた。
ホテル浦島×楽天モバイルの取り組みは、AI・DXによる成功モデル構築から地域経済牽引、そして地方観光が日本経済を牽引するという3段階のビジョンに基づいている。具体的には「収益性向上」「労働生産性向上」「顧客満足度向上」「成功モデルの横展開」を通じて、「雇用の担い手」「周辺産業への波及」「外国人観光客の誘致」「都会集中の緩和」「防災拠点化」といった効果を地域にもたらし、最終的に日本経済全体の活性化につなげる構想だ。
【kankokeizai.com 編集長 江口英一】