スリープ・ツーリズムとは? 世界的睡眠研究者が提案する「温泉×睡眠」のウェルネスプラン 


楽天AIオプティミズム

 楽天グループは7月30日から8月1日までの3日間、ビジネスイベント「楽天AIオプティミズム」をパシフィコ横浜で開いた。7月30日のビジネスカンファレンス「良質な睡眠から始まるウェルネスとパフォーマンス〜旅の価値を高める眠りの科学〜」には楽天グループ専務執行役員の髙野芳行氏、筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構 機構長・教授の柳沢正史氏が登壇。睡眠の基礎知識や旅行体験との関係性、宿泊施設ができる睡眠のサポート方法などについて、髙野氏が柳沢氏に聞いた。

楽天AIオプティミズム

 

日本人は世界一の睡眠不足大国

 睡眠は脳より先に発明された。そう語るのは睡眠学の世界的権威、柳沢正史氏だ。柳沢氏によると、脊椎動物はもちろん、昆虫やイカ、タコなど中枢神経系を持つ動物はすべて眠る。さらに2017年の研究では、脳を持たないクラゲも眠ることが明らかになった。つまり、睡眠は動物にとって極めて根源的な行動なのだ。

 しかし、その重要性にもかかわらず、日本人の睡眠時間は世界的に見て著しく短い。柳沢氏によれば、日本人はヨーロッパ諸国と比べて平均1時間近く睡眠時間が短く、世界一の睡眠不足大国だという。欧米では昼間に眠気を感じることは体調不良の兆候と捉えられるが、日本では「仕方がない」と諦められていることが多い。

睡眠不足がもたらす深刻な健康リスク

 睡眠不足の影響は単なる日中の眠気だけではない。柳沢氏が紹介した研究によれば、一晩の徹夜で脳のパフォーマンスは著しく低下し、その状態はアルコールを日本酒3〜4合飲んだ状態に相当するという。さらに驚くべきことに、1日4時間の睡眠を5〜6日続けるだけで、脳機能は徹夜と同じレベルまで低下する。

 「パフォーマンスの低下だけでなく、原始的な感情をコントロールする扁桃体の機能も低下します。寝不足が続くと、怒りっぽくなったり、イライラしたり、まともな思考ができなくなります」と柳沢氏は説明する。

 また、睡眠障害が続くと、うつ病などのメンタルヘルスの問題、肥満・高血圧・糖尿病などのメタボリックシンドローム、認知症、免疫機能の低下による感染症リスクの上昇など、様々な健康リスクが高まる。特に中高年(50〜60代)の睡眠不足は、将来の認知症リスクを3倍に高めるという研究結果も示された。

「寝ない大人は横に育つ」睡眠とダイエットの意外な関係

 睡眠不足と肥満の関係も明らかになっている。実験では、わずか2週間4時間睡眠を続けただけで、日々の摂取カロリーが増え、体重が増加し、内臓脂肪が11%も増えたという結果が出ている。

 「寝る子は育つと言いますが、成長ホルモンが深い睡眠の間に出るからです。逆に言えば、寝ない大人は横に育つのです」と柳沢氏は会場の笑いを誘いながら話した。髙野氏が「ダイエットを考えている方はまずよく寝るということですか?」と問うと、柳沢氏は「そうなんです。ダイエットを成功させるためには、まずよく眠ってください」と即答した。

眠りの質を見える化する最新技術

 柳沢氏が会長を務める株式会社S’UIMINでは、おでこと耳の後ろにシールのようなデバイスを貼るだけで、自宅で詳細な睡眠の質を測定できるサービスを提供している。このデバイスは印刷電子技術を用いたディスポーザブル製品で、SIMカードが内蔵されており、測定データを自動的にクラウドに送信。AIがパターン認識を行い、睡眠の段階を30秒ごとに判定する。

 この技術を用いた研究から、「自覚している睡眠の時間や質は当てにならない」という事実が明らかになった。「十分に眠れている」と答えた人の45%が客観的には睡眠不足であり、「眠れない」と訴える不眠症患者の66%は客観的には正常な睡眠パターンを示していた。さらに憂慮すべきことに、「睡眠の質に満足している」と答えた人の40%に睡眠時無呼吸の兆候が見られたという。

 睡眠時無呼吸は放置すると深刻な健康リスクをもたらす。柳沢氏によれば、重症の無呼吸を治療せずにいると、15年間で4割の人が命を落とし、心血管死亡リスクは5.2倍にも上昇するという。「下手な癌よりも死亡率が高い」と柳沢氏は警告する。

旅行体験を高める良質な睡眠

 カンファレンスの後半では、睡眠と旅行体験の関係性について議論された。トリップアドバイザーのレビュー7,700件を分析した研究によると、良質な睡眠は旅行体験の満足度に強く影響するという。特に50代以上の旅行者や、ビジネストリップ、子連れの家族旅行では、睡眠の質に対する感度が高い傾向がある。

 「日本人は旅先でも忙しすぎます。あれもこれもと詰め込みすぎる。旅の間ぐらいはゆっくりして、ぐっすり眠ることを目的とする旅も良いのではないでしょうか」と柳沢氏は提案する。

 実際、柳沢氏のS’UIMINと旅館がコラボレーションした「スリープ・ツーリズム」の取り組みも始まっている。旅館大沼では業界初の「温泉×睡眠」のウェルネスプランを提供。医療現場でも使われているデバイスで脳波や自律神経バランスを測定し、睡眠の質を「見える化」するサービスだ。

良質な睡眠のための環境づくり

 良質な睡眠のためには環境が重要だ。柳沢氏は「暗くて静かで、朝まで適温」を寝室環境の合言葉としている。特に光環境については、「日本のホテルや住宅は夜の照明が明るすぎる」と指摘する。

 メラトニンと呼ばれる睡眠を促すホルモンは、暗い環境でのみ分泌される。しかし、わずか10〜100ルクス程度の明るさでもメラトニンの分泌が抑制されてしまう。これは街灯の下程度の明るさだ。柳沢氏は「夜の居住空間は絶対に明るくないほうがいい」と強調する。

 また、就寝前のスマホの使用も避けるべきだという。特にショート動画、SNSのチャット、ゲームなど、インタラクティブな操作を要求するコンテンツは、ドーパミンを出続けさせ、眠気を吹き飛ばしてしまう。
 
 旅行業界、宿泊業界に対しては、遮光カーテンの設置や夜間の照明を暗くするなど、宿泊客の睡眠環境を整える工夫を提案。顧客満足度を高め、リピーターを増やすためにも、良質な睡眠環境の提供が重要だと語った。

 「1日7時間から7時間半の睡眠が平均的な必要量です。個人差はあるものの、6時間以内で足りる人は非常に少数です。5時間で足りる人は30〜40代ではほとんどいません」と柳沢氏。また、睡眠の質については「一晩の睡眠全体が大事」であり、「睡眠のゴールデンタイムは嘘」だと指摘した。

 日本人が健康で生産性高く過ごすためには、まず「世界一の睡眠不足大国」という現状を変える必要がある。良質な睡眠こそが、パフォーマンス向上と健康増進の鍵だ。スリープ・ツーリズムの取り組みには、様々な可能性が秘められている。

【kankokeizai.com 編集長 江口英一】

 
 
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