
山梨県甲府市の信玄の湯湯村温泉で8月1日、太宰治ゆかりの宿「旅館明治」と外湯「鷲の湯」が開業する。老朽化した以前の両施設は取り壊し、新築した。7月18日には県内関係者や旅行会社を対象とした内覧会が開催された。開湯1200年の歴史を持つ温泉街の再生に向けた一歩となる。
旅館明治
鷲の湯
「旅館明治」開業 温泉街の核に
信玄の湯湯村温泉の再開発計画の中核を担う「旅館明治」は、昭和期に太宰治が執筆のため逗留し作品を生み出した由緒ある宿。株式会社旅館明治の笹本健次社長(=常磐ホテル社長)は内覧会であいさつし、「昭和40年代の最盛期には40軒もの旅館が軒を連ねていた信玄の湯湯村温泉も、近年は衰退の一途をたどり、現在では8軒の旅館が存在するだけです。しかしながら、湯村温泉には1200年に亘る長い歴史と伝統があり、武田信玄公をはじめ多くの人々に愛されてきました。その数々の歴史的ブランドをこのまま埋もれさせるのはあまりに惜しい」と再開発を行う決意を語った。
旅館明治と鷲の湯のリニューアル・プロジェクトは、観光庁の補助金を活用して旧施設の解体した後、2024年6月に着工。1年2か月の工期を経て開業にこぎつけた。笹本社長は「資材、人件費等、あらゆるものが値上がりする中、何とか完成に漕ぎつけたことは、皆様の暖かいお力添えのおかげ」と関係者への感謝を述べた。
笹本社長(常磐ホテルの大宴会場で行った説明会で)
女性をターゲットにした施設設計
新しい旅館明治はどのような宿を目指すのか。笹本社長は「第一ターゲットは年齢を問わず、関東近県の温泉好き、歴史好き、文学好きの女性です」と明言した。その理由として「旅館明治には女性が好む要素が多く存在している」と説明。太宰治の資料館設置、肌に心地よい温泉、発酵食品を取り入れた朝食など、女性の好みを意識した施設設計がなされている。
新施設は木造2階建ての和風建築で、館内内装はシックでスタイリッシュな雰囲気に仕上げられた。客室数は21室(全室ツインベッドルーム、シャワーブース完備)、最大宿泊者数50名の規模だ。特徴的なのは5室ある露天風呂付き客室や、2室のバリアフリー対応客室、8室の3名利用可能客室など、多様な客層に対応できる客室構成となっている点だ。
料金設定は1泊2食付きで22,550円~34,650円(平日)、休前日は25,800円~37,950円。年末年始は33,550円~44,550円となっている。朝食のみのプランも用意されている。
旅館明治
文豪・太宰治の足跡を辿る
旅館明治は太宰治ゆかりの宿として知られる。太宰が初めて湯村温泉を訪れたのは、石原美知子と結婚し、現在の甲府市朝日五丁目に新居を構えた1939(昭和14)年1月から、9月に東京三鷹に移転するまでの間とされる。
太宰は執筆に集中したい時、自宅を離れ旅館に逗留することがしばしばあった。湯村温泉で常宿にしていたのが旅館明治で、1942(昭和17)年2月初旬、東京の編集者宛のはがきに宿の名前を「明治屋」と記し、「こちらは、朝夕さむくて、閉口してゐます、二月一ぱいは、ねばらうと思つてゐます」と書いている。滞在中は創作集『女性』の校正や、書き下ろし『正義と微笑』の執筆など、精力的に仕事に励んだという。
翌1943(昭和18)年3月にも旅館明治に滞在し、難航していた書き下ろし『右大臣實朝』の執筆を行っている。同年1月に発表した小説「黄村先生言行録」では、2月に湯村温泉を訪れて「古い旅館の一室に自らを閉ぢこめて仕事をはじめ」た主人公が描かれている。
この縁を大切にした旅館明治では、太宰治資料館を館内に設置。太宰が使用していた旧旅館明治内の資料を移設展示し、宿泊客は無料で見学できる。11時から15時までは近隣施設の宿泊者も、フロントでの記帳後に無料で見学が可能だ。
太宰資料館
「鷲の湯」が外湯として復活
旅館明治に隣接して建設された「鷲の湯」は、かつて湯村温泉にあった公衆浴場である外湯を復活させたものだ。温泉地には「鷲(わし)の湯伝説」も残されている。
「各地の温泉地を訪れますと、必ず誰もが気軽に入浴できる外湯が存在しています。この信玄の湯湯村温泉にも、伝説にまつわる『鷲の湯』という外湯がありましたが、これも30年ほど前に営業休止したままとなっておりました」と笹本社長は説明した。
鷲の湯は男女共に内風呂・露天風呂を備え、洗い場は各10か所ある。営業時間は7時から10時30分、15時から22時までで、入浴料は大人1,000円(手ぬぐい付き)。回数券も8,000円(入浴券10枚・手ぬぐい1枚付)と4,000円(入浴券5枚・手ぬぐい1枚付)が用意されている。地元住民向けには特別料金も設定される予定だ。
また、鷲の湯外側の入り口付近の塀には、巨大な「ゆ」の文字が描かれ、これがシンボルとなるとともに「インスタ映えする」と笹本社長は期待を寄せている。
「旅館明治」と「鷲の湯」はつながっている
鷲の湯のエントランス
温泉街全体でのおもてなし
旅館明治の特徴的な点は、夕食を館内で提供せず、温泉街全体でおもてなしをするスタイルを採用していることだ。笹本社長は「温泉街全体でお泊りのお客様をお迎えしようというコンセプトの下、各種の夕食を選択できる」と説明した。
具体的には、①太宰治の師匠であった井伏鱒二が定宿としていた常磐ホテルでの懐石料理、②記念日ホテルの14階ブッフェレストランで甲府盆地の夜景を楽しみながらの食事、③そば料理が得意な楽水園でのそば懐石、④居酒屋「ごっちょ」でのちょい飲みセットなど、複数の選択肢を用意している。
これらの食事会場へはマイクロバスなどで送迎するが、秋冬の時期には客室に備え付けの保温性に優れたマントを羽織って「そぞろ歩き」も推奨している。このマントは戦前の文豪たちが好んで着ていたものを復活させたという。
朝食は館内のレストランで提供され、7時30分と8時45分の2部制となっている。和食基本セットとハーフブッフェ形式で、注目は「マイマイの発酵美人」と名付けられた発酵食品コーナー。料理研究家の真藤舞衣子さんが監修している。
またレストランは15時からはラウンジとしても機能し、宿泊者は喫茶を無料で利用できる。約70平方メートルの広さで、2名掛けテーブルが12卓設置されている。
旅館明治のロビー
旅館明治のラウンジ
湯村温泉再開発の一環として
新施設の開業は、信玄の湯湯村温泉再開発計画の一環だ。笹本社長は「まず手始めに湯村温泉の名称を、史実に則り、信玄の湯湯村温泉に変更いたしました。これで全国に通用するブランドの名称ができあがりました」と語る。
再開発を進めるため、JTBをはじめとする多くの企業の支援を受け「甲府観光開発株式会社」を設立。山梨県、甲府市と協力して「湯村温泉再開発マスタープラン」を策定した。このプランには旅館明治の新築をはじめ、山梨マルシェ、ジュエリープラザ、観光バスターミナルの新設などが予定されている。
「このプランが完成した暁には、信玄の湯湯村温泉の発展はもちろん、甲府盆地の観光がドラスティックに変わることは間違いありません」と笹本社長は確信を示した。
株式会社旅館明治は甲府観光開発の100%子会社だ。新築にあたっては県内有力企業からの出資や、山梨中央銀行を中心とした銀行団によるシンジケートローンが組成された。
温泉街の再生へ
信玄の湯湯村温泉は、コロナ前の2019年には約16万人の宿泊客があったが、コロナ禍で6万人程度まで落ち込んだ。コロナ明けの2024年も完全には回復せず、11万人強にとどまっていたという。
笹本社長は「この旅館明治が加わることにより、1万人がプラスされます。さらに、マスタープランの計画を来年度末までに実現させることにより、20万人以上のお客様に訪れていただけると確信いたしております。同様に、これまでほとんど存在しなかった日帰り客も、5万人程度になるのでは、と予測しております」と見通しを述べた。
湯村温泉旅館協同組合は今回、正会員のみならず新たに賛助会員制度を設け、23軒の飲食をはじめとする観光関連施設が加入。「これで信玄の湯湯村温泉が地域一体となってお客様をお迎えする体制ができあがった」と笹本社長は語った。
内覧会でテレビ取材を受ける笹本社長
復興への期待
内覧会には山梨県副知事の井上弘之氏や甲府市長の樋口雄一氏、JTB常務執行役員ツーリズム事業本部副本部長の山田仁二氏、山梨中央銀行常務執行役員の飯島英紀氏ら関係者が出席し、祝辞を述べた。
井上副知事は長崎幸太郎知事のメッセージを代読し、「新原の湯村温泉は1200年前に弘法大師が開湯し、武田信玄公の隠し湯として広く知られるなど長い歴史と伝統を誇る名湯であり、山梨県を代表する温泉地として県内外から多くの観光客を引きつけてまいりました。来月の旅館明治とそこゆわしの湯のリニューアルオープンは、まさに新原の湯村温泉の価値を一層高める取り組みであり、湯村温泉に留まらず周辺地域を含めた観光の活性化、さらには地域経済への好循環にもつながることを期待申し上げます」と述べた。
樋口市長は「ここ新原の湯村温泉におきましては、温泉街の高付加価値化に向け、宿泊施設や飲食店などの改修整備に精力的に取り組まれ、いよいよその中核となる施設である旅館明治がこうしてオープンとなります」と祝福。「本市といたしましても、皆様とともに新原の湯湯村温泉の再開発事業に取り組み、この歴史ある新原の湯湯村温泉が多くのお客様が来訪する魅力的な温泉街となるよう官民一体となって歩みを進めてまいりたい」と語った。
内覧会では施設の案内とともに、旅館明治で働くスタッフ28名のうち9名が紹介された。管理部長の末竹氏は「年齢や今までの勤務経験などは様々でございますが、みんなで力を合わせまして、お客様に喜んでいただくということを目的のために同じ方向を向いてこの旅館明治の新たな1ページを作ってまいりたい」と決意を述べた。また「旅館は施設が整えば完成というものではございません。これからは人が主役でございます。お客様にまた来たいと思っていただけるような運営面でも日々改善と挑戦を続けてまいります」と語り、制服のお披露目も行われた。
旅館明治のスタッフを紹介
全8タイプの客室
旅館明治の客室は全8タイプ計21室が用意されている。①スタンダードツインルーム(3室)、②スーペリアツインルーム(2室)、③スーペリアツインルーム(+ソファベッド)(6室)、④デラックスルーム(3室)、⑤ユニバーサルルーム(2室)、⑥スタンダード露天風呂付ルーム(2室)、⑦スーペリア露天風呂付ルーム(+ソファベッド)(2室)、⑧デラックス露天風呂付ルーム(1室)となっている。
「コネクティングルーム」(2名×2室利用、約32平方メートル×2室)は隣室とつなげば三世代旅行にも最適な特別空間となる。「ユニバーサルルーム」(2名利用、約40平方メートル)は車いすの方も利用可能な広々とした空間と丸窓を採用したスタイリッシュな客室で、シャワールームの壁面には腰掛けを設置している。「露天風呂付デラックスツイン」(2名利用、約30平方メートル)はモダンで落ち着いた空間が魅力の露天風呂付客室だ。「3ベッドルーム」(3名利用、約34平方メートル)はツインベッド、ソファベッドにて3名までの利用が可能でファミリーや3名グループでの利用に最適だという。同じ客室タイプでも、部屋ごとに内装が異なる点も特徴だ。
客室設備としては、ローテーブル&ソファまたはハイテーブル&チェア、液晶テレビ、セーフティボックス、冷蔵庫、クローゼット内ハンガー、Wi-Fi、加湿空気清浄機、シャワーブース、ヘアドライヤー、洗浄機付きトイレ、バスタオル、フェイスタオル(別途大浴場用タオルあり)、シャンプー、リンス、ボディソープ、アメニティ(歯ブラシ、ヘアブラシ、シェーバー、コットンセット)、客室内用スリッパ、作務衣、丹前、草履、マントなどが完備されている。
旅館明治の客室
ユニバーサルルームのトイレ
山梨観光のハブに
JTB常務執行役員の山田仁二氏は「旅館明治のリニューアルオープンは、湯村温泉の明るい未来に向けた一つの通過点、新たなスタートラインだと考えております。私どもJTBは皆様とともにここ甲府に腰を据えて今後も共に取り組んでいきたい」と述べた。
また、山梨中央銀行常務執行役員の飯島英紀氏は「このプロジェクトは地域DMOの甲府観光開発の中心に湯村温泉旅館共同組合様や商店街、観光協会様、甲府商工会議所様など地元の団体、株式会社JTB様や地元の有力企業の皆様、そして山梨県様、甲府市様などの行政が結集し、地域の観光活性化を目指して取り組んできた全国でもモデルケースになるプロジェクトと考えております」と評価した。
開湯1200年の歴史を持つ信玄の湯湯村温泉。武田信玄や文豪たちに愛されてきたこの地が、新たな一歩を踏み出す。「信玄の湯湯村温泉再開発計画」により、メインストリートには今後、山梨の特産物を販売するマルシェやジュエリープラザ、足湯などが整備され、山梨・富士山周辺地区観光のハブとして生まれ変わる予定だ。
【kankokeizai.com 編集長 江口英一】