【駅メロとわずがたり43】京急金沢文庫駅(2) 「小田兄弟」を育んだ街と音楽 藤澤志穂子


京急金沢文庫駅

 シンガーソングライターの小田和正さんと兄、兵馬さんの父・信次さん(故人)の実家は金融業に携わっていたが、昭和恐慌で破産。「薬なら安定している」と考え、横浜・伊勢佐木町の薬問屋に奉公し、得意先回りをしている中で、京急が通り、人の通行も多い金沢文庫に着目して店を構えた。

 太平洋戦争中は、現在の世田谷区にあった陸軍病院に配属され、看護師のきのゑさん(故人)と出会い結婚する。京急金沢文庫駅=写真=からすずらん商店街を5分ほど歩いた場所にある小田薬局には、きのゑさんを慕い、多くの顧客が訪ねてきた。「毎日店にいたオフクロが続けていたことが、今も当たり前に続いていますい」(兵馬さん)。

 「小田兄弟」は当時、薬局の隣にあったパチンコ屋から流れて来る、美空ひばりや島倉千代子など、昭和20~30年代の歌謡曲を聴いて育った。原点は、母の歌う子守唄だった。音楽好きのいたずらっ子だった兄弟は、ミッション系の関東学院小学校(横浜市金沢区)に入学。兵馬さんは聖歌隊のメンバー、和正さんも同じように入隊を志したが、なぜか不合格に。「人生最初の挫折でしょうね」(兵馬さん)。

 中学で兵馬さんは、進学校の栄光学園中(鎌倉市)に進むが、小田さんは不合格、横浜市中区にある、当時は新設の聖光学院中に通うことになった。兄の背中を追いかけ続けた和正さん。兄弟は当時、ラジオから流れる洋楽に熱中した。米フォークグループのピーター、ポール&マリー(PPM)やカーペンターズなどなど。

 兵馬さんは建築を志していたが、薬局を継ぐため、東京の薬科大学に進学し、薬剤師となった。両親は、和正さんには医学部に進み、医者となって薬局を支えてほしかったらしい。だが和正さんは、東北大学に進み、建築を専攻、さらに早稲田大の大学院に進む。その間にオフコースを結成しデビュー。その後の成功は誰もが知るとおりだ。

 「和正は、僕が建築をあきらめて家を継いだことに何か思うところが、今でもあるのではないかな。お互い70歳代も後半になって、これからどうしていくか。そんなことを話し合うこともあります」と兵馬さん。

 オフコースとして小田さんがデビューして50年以上が過ぎた。和正さんは「五十を過ぎて歌うなんて、予想もしなかった」と、2001年の全国紙のインタビューで語っていた。70歳代も半ばを超えた今、コンサートには和正さんと一緒に人生を歩んできたような年齢層のファンも男女問わず詰めかける。これからもずっと、一緒に歩いていきたい、そう考えているだろう。

 ◇出典=「京急電鉄の世界」(交通新聞社刊)

 ※元産経新聞経済部記者、メディア・コンサルタント、大学研究員。「乗り鉄」から鉄道研究家への道を目指している。著書に「釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝」(世界文化社)、「駅メロものがたり」(交通新聞社新書)など。


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