
講演する文教大学の青木選任講師
JTBパブリッシングは6月24日、第2回るるぶキッチンセミナー「ご当地グルメを通じたウェルビーイング的価値の創出」を新宿紀伊國屋書店新宿本店のアカデミック・ラウンジで開いた。文教大学国際学部国際観光学科の青木洋高専任講師が講演した。
青木氏は冒頭、「ウェルビーイングというと特別なものと捉えがちだが、もっと気軽に活用できるものだ」と述べた。講演では観光や食における価値観の変化を踏まえ、これからのご当地グルメの在り方について新たな視点を提示。「単に美味しいだけでなく、誰と食べるか、どう感じるのかが満足度に直結する」と指摘し、ウェルビーイングの概念を地域の食文化に取り入れる意義を強調した。
経済効果だけではない、新たな価値創出の必要性
観光における食の重要性は、様々な調査で裏付けられている。青木氏が紹介した調査データによると、「訪問先の食を楽しむことは旅行の目的になっていますか」という問いに対し、96%が「なっている」と回答。さらに「旅行先を選ぶ上で現地でどんな食が食べられるかが重要か」という質問にも、多くの人が肯定的な回答をしている。
「食は観光先を決める要因にもなっています。自分に置き換えてみると、あれを食べるために泊まるとか、あれを飲むために出かけるということが誰にでもあるでしょう」と青木氏。インバウンド旅行者においてもこの傾向は顕著で、日本に期待することとして「食」が上位に挙がっている。
しかし従来のご当地グルメの目的は、主に「地域活性化と観光誘致」という経済効果に焦点が当てられてきた。2000年代のB級グルメブームも同様で、「富士宮焼きそば」が500億円の経済効果を生んだことが大きく報じられるなど、数字で表される成果が重視されてきた歴史がある。
「これまでのご当地グルメは消費者との関係性構築や心の満足感にはあまり焦点が当たりにくかった。地域と消費者、地域と旅行者、様々なステークホルダー同士がつながる機会が少なかったのではないか」と青木氏は問題提起した。
コロナ後の価値観変化——「もの」から「こと」そして「意味」へ
青木氏は、近年の消費傾向の変化について3つの背景を挙げた。
1つ目は「イミ(意味)消費を通じた地域支援の意識の高まり」だ。従来の「モノ消費」「コト消費」から一歩進んだ「イミ消費」への移行が進んでいる。「特に若い世代は『応援したいから買う』という意識が強い。東日本大震災がイミ消費のきっかけと言われていたが、コロナ禍でさらに加速した」と指摘する。
2つ目は「ウェルネスへの関心の高まり」。パンデミックを経て、単に楽しむだけでなく心や体が癒され、ケアできる旅への意識が変化している。「世界的に見てもウェルネスの旅行市場は2024年で1000億ドル規模あり、2033年には2000億ドル規模になると言われている」と青木氏は市場の成長性を説明した。
3つ目は「交流を豊かにする食の場の再構築」。コロナ禍を経て人とのつながりが改めて重視されるようになり、共に食べる場の価値が見直されている。「子ども食堂などもそうだが、ただ食事を提供するだけでなく、一緒に作ったり共に食べたりする場の重要性が高まっている」と青木氏。消費者の位置づけも「購入者」から「共感者」「支援者」へと変化しているという。
ウェルビーイングとは「良い状態」——SDGsとの関係性
ウェルビーイングとは「良い状態」を意味し、単に病気でないということではなく、身体的、精神的、社会的に良好な状態を指す。青木氏はWHOによる定義を紹介しながら、「体も心も、そして社会にとっても良い状態」と分かりやすく説明した。
SDGsとの関係性について青木氏は独自の視点を提示する。「SDGsは将来のことだと私は考えています。将来の子どもたちのため、水資源を残すため、飢餓をなくすためなど。一方、ウェルビーイングは現在の状態。私はウェルビーイングがなくしてSDGsは成り立たないと思います。今の自分が良い状態でないのに、将来のことや他人のことを考えるのは難しい」
時代によって旅の意味も変化してきた。高度経済成長期までは「モノミユさんの旅」と呼ばれ、旅は非日常の娯楽として特別な行為だった。その後、体験型観光が主流となり「その場に見ること」の価値へと変化。そして現在は「共感の旅」の時代へと進化している。
「東日本大震災を経て、さらにポストコロナ時代以降、旅は生き方や幸福感に関わる行為へと進化しています。そうなると、食も身体的、精神的、社会的な価値をどう満たしていくかが重要になり、誰とどこでどう食べるかということが注目されるようになりました」
ご当地グルメにウェルビーイングの視点を——学生調査から見えた可能性
青木氏はウェルビーイングの概念をご当地グルメに適用する可能性を探るため、大学生127人を対象にアンケート調査を実施。その結果を同行した文教大学国際学部3年の金山さんが発表した。
調査によると、「ウェルビーイング」という言葉の認知度は29%と低いものの、「旅行やお出かけ先で食を楽しみにしていますか」という質問には10点満点中平均9.02点という高いスコアが出た。また、旅行や食事が健康状態に与える影響について尋ねたところ、特に「精神的健康」への良い影響が高く評価された。
「大学生が自覚している健康状態は、社会的、身体的、精神的の順で高くなっています。一方で、旅行やお出かけは精神的健康に最も良い影響があると考えられています。満足度の高い食事も同様に精神的健康に最も良い影響があると認識されています」と片山さんは説明した。
この結果について青木氏は「逆転現象が起きている点が興味深い。大学生は精神的なスコアがいつも低く、心の健康に課題を感じているが、旅行や満足度の高い食事をすると心が癒される。これは非常に示唆的だ」と分析した。
学生たちは文化庁の「100年フード」に登録されているメニューの中からウェルビーイングに関連するものも調査。埼玉県越谷市の「鴨ネギ鍋」は鴨とネギの相乗効果で健康面からウェルビーイングに良いとされ、岐阜県日生町(現・備前市)の「日生カキオコ」は規格外の牡蠣を活用した経緯自体がウェルビーイングの概念に通じるという。しかし全体としてはウェルビーイングを意識したご当地グルメの事例はまだ少ないことが分かった。
ご当地グルメを「消費」から「共に味わう」関係性へ
青木氏はウェルビーイングの視点をご当地グルメに取り入れることで、従来の「訴求の仕方」を変える可能性を提案した。
「従来型の物重視のPRだと『地元のトマトを使っています』といった情報提供に留まりがちです。でも、ここに関係性を持たせることができないでしょうか」と青木氏。例えば「福島の下郷町の山田和義さんの朝摘みの夕陽トマトの冷製ご褒美パスタ」のように、作り手の思いや背景を伝えることで価値が変わるという。
「旬のトマトにはリコピンがあって抗酸化作用があるといった身体的効能、精神的な効能、そして地元農家とつながりを持てるという社会的効能など、様々な訴求の仕方があるはずです」
青木氏は具体例として神奈川県三浦市のマグロの取り組みを紹介した。マグロの「血合い」は敬遠されがちだが、栄養価が高いことに着目し、ネーミングを「茜身」に変えて健康面での価値を打ち出した事例だ。また、東京都江戸川区では多文化共生の観点から、インド人コミュニティ向けに彼らの故郷の野菜「メティ」を小松菜の発祥地である江戸川区で栽培する取り組みも紹介された。
「こうした事例はウェルビーイングという言葉を使っていなくても、その文脈に合致しています。こういった価値創出を広げていくことが重要です」
「ご当地グルメ3.0」の時代へ——地域の食文化の新たな可能性
まとめとして青木氏は、ウェルビーイングの視点からご当地グルメの価値を再定義する「ご当地グルメ3.0」とも言うべき新しい時代の可能性を示唆した。
「ウェルビーイングというと特別なものと捉えがちで、リトリートやヨガなど限られた人向けのイメージがありますが、それだけではありません。今あるものの訴求をもっとウェルビーイング的な価値で伝えていくことが大切です」
例えば地産地消の意義も、単に「地域の食材を使用している」という事実だけでなく、輸送コストの削減によるフードマイルの低減や環境負荷の軽減といった視点で伝えることができる。また、規格外の食材活用や食品ロス削減などの取り組みも積極的に訴求していくべきだという。
「サステナブルな取り組みの中に連帯感を見出し、『なぜそれをやるのか』『誰のためになっているのか』という意味を伝えることで、ご当地グルメの概念が大きく変わるでしょう」
最後に青木氏は「ご当地グルメにもっとウェルビーイングを。新しいものを開発するのではなく、今ある既存の様々なグルメにウェルビーイングの視点をもたらすことが大切です」と締めくくった。
第三者機関連携による信頼性向上の動き
質疑応答では、ウェルビーイングの取り組みを誰が主体となって進めていくべきかという質問が出た。青木氏は「これまでのご当地グルメの主体は商工会議所や観光協会が多かった」と指摘。その後の展開では「商工会や観光協会だけでなく、個々の企業や生産者がフラットな状態で連携することが重要」と答えた。
「様々な立場やポジションが違う主体がいかに重なり合って、1+1が3になるような仕組みが必要です。特に企業の役割は大きいでしょう」と青木氏は語った。
またアンテナショップの役割についての質問には「産業としては貢献しているが、実際の観光誘客にどれだけつながっているかは測定が難しい」としつつも、「消費者と生産者をつなぐ場として重要な意味がある」と評価した。
【kankokeizai.com編集長 江口英一】