
品川駅から京浜急行の特急で小1時間の金沢文庫駅(横浜市金沢区)、この駅で流れるのは、小田和正さんの「my home town」(1993年)。故郷・横浜に対する思いが詰まった歌という。和正さんは駅から続く「すずらん商店街」に、戦前から店を構える「小田薬局」の次男として生まれた。この歌を、和正さんは横浜でのコンサートでは必ず歌う。2023年8月、全国ツアーのファイナルとなった横浜アリーナでのコンサートではアンコールで披露された。和正さんはコンサートに行く先々で、その土地を自ら案内する映像「ご当地紀行」を流している。この時はすずらん商店街を訪ね、小田薬局に寄り、後を継いだ2歳年上の兄の兵馬さんを紹介した。実家にはよく立ち寄っていたが、映像で紹介するのは初めてだった。
「小田薬局」は2011年に改装工事をした際に、店名を左から読む創業当時の看板を復元した=写真。店内1階の階段を登ると、2階は紅茶専門店「友&愛(You&I)」、かつては横浜・元町で経営していた店で、名前に異国情緒の漂う雰囲気を重ね、薬局の改装を機に移転した。テラスもある、木目調の明るい空間だ。洋菓子店から仕入れたケーキと軽食、紅茶を出し、高級陶器のカップを使っている。流れるBGMは兵馬さんが編集、クラシック、シャンソン、歌謡曲、J―POPなどの合間に、和正さんの曲が自然に差し挟まれている。
紅茶店には「小田和正ファン」がひっきりなしに訪れる。そんなファンに、小田家の人々は、薬局の創業者で街の「顔役」だった、兵馬さんと和正さんの「小田兄弟」の父・信次さんについて話をする。2008年に亡くなった際に制作したメモリアルの小冊子には、和正さんも映る家族写真も含まれている。ただし店内は撮影禁止。この店はファンのためだけにあるのではない、地元の人たちや紅茶好きな人たちが静かな時間を楽しむ場所なのだ。店内では月1~2回、映画会が開かれてもいる。兵馬さんチョイスによるハリウッドの名作が中心で、薬局の顧客や地域の常連さんが参加、人と人とのつながりを守っていきたいという願いがこめられている。
ドラッグストアチェーンの台頭で、多くの薬局・薬店が廃業に追い込まれた。小田薬局も一時は神奈川県内で20数店舗を経営していたが、いまは本店となるこの店舗だけだ。兵馬さんは父の跡を継ぐ地域の「顔役」として、すずらん商店街のほか、業界団体の責任者を歴任してきた。金沢文庫では、称明寺などを含めた地域全体を『武家の古都』として、『鎌倉と一緒に世界遺産に』といった運動も展開されている。
「でも僕は反対なんですよ。観光がてらの『一見さん』より、頼りにして何度も通ってくれるお客さんの方を、大事にしないといけないと思うから」。
◇出典=「京急電鉄の世界」(交通新聞社刊)
※元産経新聞経済部記者、メディア・コンサルタント、大学研究員。「乗り鉄」から鉄道研究家への道を目指している。著書に「釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝」(世界文化社)、「駅メロものがたり」(交通新聞社新書)など。
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