小原氏
二階先生とのご縁で旅館の事業再生に関与したのは複数あるが、その際に二階俊博という政治家の人脈の広さ、また、頼まれたら絶対NO!と言わない姿勢と、必ず解決してやる!という信念には畏敬の念を感じた。
さて、小泉政権下で勢力を伸ばした清和政策研究所=清和会(福田派、三塚派、森派、小泉派、安倍派など)であるが、約20年前に私が前会長の山口英次氏から次期会長に指名され会長就任のあいさつをして回る中で、森喜朗先生の事務所を訪問した際だった。森先生は開口一番「そうだ、君がいた! 小原君、きみ参議院比例区に出馬しないか?」といきなり切り出された。
私は「いえ、今日は全旅連会長の就任あいさつで…」と言っているのに、「君のことは山本富雄先生(=山本一太群馬県知事のご父君)からもよく聞いていた。来年7月の参議院選挙の比例区だ! やろう!」と言われ、丁重にお断りしている私の言葉を押し流すように森会長はすでに出馬が決まったかのような雰囲気である。
その場を辞去して同行していた全旅連事務局の清澤氏に「いきなり選挙の話はないよなあ?」と言うと、清澤専務も意外とやらねばならぬような雰囲気である。私から「清澤君、選挙よりも、まず、全旅連会長としての仕事を全うしなくてはならない」と独り言のように言うのがやっとだった。次の週も森会長から呼び出され出馬を催促され、その次の週には具体的な支援団体の提示を受けたので、強くお断りすると、ついに森会長の怒りが爆発し大変なけんまくとなられた。
すでに森会長ご自身で各方面に交渉されて、出馬やむなしの場面になっていることに驚きを禁じ得ず、清澤氏からも「これを断れば全旅連は政治活動の道が閉ざされるのではないか」との判断もあり、その後も悩み抜いたが、結局は出馬することに決定した。
旅館業界内にその情報が伝わると数カ所から大きなクレームがきた。「小原君、君は全旅連会長職を選挙に利用するのか!」とか「公私混同ではないか!」など厳しいご指摘である。いろいろなことがあったが出馬を決めたのは私自身だから批判を受けても反論はできない。そのつらい思いは選挙に勝って参議院議員のバッジを胸にしてから業界のために役立とうと思い必勝を胸に刻んで奮い立った。
森会長からは「小原君、いいか、参院比例区は30万票を取らんと勝てないぞ。30万だぞ!」と何度もダメを押された。そして、「紹介した推薦団体に足しげく通い頭を下げろ!」「参院のドンのA先生にあいさつに行け!」と次々と指示が来る。選挙の日まで1年を切り実質わずか10カ月しかない。全旅連の中に選対本部を立ち上げて全都道府県の旅館組合にあいさつ周りが始まった。北から南へ各地を順番に回るわけではなく、今日は北海道、明日は大阪、その次は東北、さらに沖縄と日本列島を行きつ戻りつまさに殺人的スケジュールとなった。あまりの過激な日程に、札幌と大阪のホテルで夜中に心臓の鼓動の激しさで飛び起きることもあった。電話を取って救急車を呼ぼうとしたが、内心(待てよ、死ぬかもしれんが、家族や応援していただく方々には申し訳ないが、男が選挙の戦場の中で死ぬのは名誉なことだ!)と思い返し心を落ち着かせてベッドに戻って眠りに落ちた。
翌日は何事もなかったように笑顔で握手、大声で名前の連呼である。そのような中、その年の全旅連の全国大会を札幌で行い、後半は選挙の決起大会にすることが決まった。その頃はもう候補者本人の意思も意向もあったものではない。選対本部の指示通りに動くだけだ。そして、札幌大会の際に今でも忘れられない二つの事件が起きた!
(元全旅連会長)




