
NPO法人日本門前まちづくり 理事長 岡井 健氏
旅と風と土
通勤、通学時間帯のはずが、ガラガラの電車やバスの車内。休日やハイシーズンでも閑古鳥がなく観光地の風景。
あれは一体何だったのか、と思うことが増えた。
長らくのコロナ禍からこの春でフェーズが変わり、すっかりと街には人の流れが、観光地にもにぎわいが戻ってきた。「あれは何だったのか」と思い返すたびに、この数年の間でわれわれは“極端”を経験したのだ、と実感する。コロナ禍以前から現在に至るまで、あんなに「観光」への期待が高まっていたのに、急転直下。観光の「伸び縮み」、つまり観光地の伸縮性を意識せざるを得ない。
他者の痛みを理解、共有する我慢の時間が一転、人々の都合と欲で再びまちが動きだした様子や、人が増えた観光地を映した観光再始動の報道を見るにつけ、「喉元過ぎれば」という言葉が思い出される。もちろん、それが経済を回していたことも痛感したわけだが。
私は、観光地で生まれ育ち、まちづくりを標榜(ひょうぼう)して20年ほど活動を続けているが、この両極端を経験して思うことは何か。誰のための、何のための観光事業や旅行ビジネスなのだろうか、という基本的な問いだ。
「観光」で語られることの多くは、個々のビジネス、業界の情勢、行政の施策で、それらはトレンドで塗られている。これを、例えば「風の読み方」とすると、一方でもう少し足元を見つめた上での「土づくり」も重要なのではないかと思うのだ。
土づくりは、概すると地域の暮らしや文化を見つめ直し、磨くことだ。
観光のリスクもメリットも味わった今、伸び縮みはある程度の前提としても、一喜一憂ばかりしつづけて疲弊する姿が望まれるものだろうか。「パンクする観光地」に、また来たいと思う人がどれだけいるだろうか。例えば、観光に地元の暮らしが押し出されるような状況は本末転倒である。
観光はトレンドのみにあらず。なぜなら、本来はこれまで述べた「土」の部分を置き去りに観光や観光産業は語れないからだ。
風の読み方、風のつかみ方。土の読み方、土の耕し方。
風と土。この両輪の「バランスをもって」こそのものだ。だが、プロジェクトや事業を仕立てる時は特に近視眼的になり、風ばかりを読みがちになる。
しかし、足元の「土」を何度も見つめ直そう。時間もかかるし、辛抱も必要になるが、そうして深みが持てた地域には、高質化や高付加価値化、満足度というものは結果として後からついてくるだろう。
利は少しまわり道の先にあり。
持続可能な「土づくり=地域づくり」の視点に立った上で、「観光」を今一度考えてみる必要がありそうだ。