
日本旅館国際女将会(長坂正惠会長、事務局・観光経済新聞社)は2日、12月定例会を東京・日本橋人形町の料亭「玄冶店 濱田屋(げんやだなはまだや)」で開いた=写真。1年ぶりのリアル開催でおもてなしを磨いた。
定例会では、三田啓子女将=写真中央=から玄冶店濱田屋の歴史やおもてなし等についての話を聞いた。
玄冶店濱田屋は大正元年の開業。花街として知られた芳町(現在の人形町)の芸者置屋「濱田屋」が明治末に店を閉め、料亭として再出発した。現在の建物は築70年の数寄屋造り。三田女将は「博多から嫁入りして若女将となり、先代女将が亡くなった平成4年から女将になりました。日本文化を伝える気持ちで濱田屋を守ってきました」と自己紹介。
人形町の歴史について「江戸の六花街は、芳町、新橋、赤坂、神楽坂、浅草、向島。一番規模が大きかったのは芳町で、江戸時代の芳町には人形浄瑠璃などを見せる芝居小屋が400軒くらいあったと聞いています。料理屋も400~500軒あり、芸者衆は900人くらいいたそうです。私が嫁いできた当時は、料亭10軒で芸者衆が80人。それが現在では、料亭はここ1軒で、芸者衆は5人。お座敷に芸者の人数が足りない場合は、赤坂、神楽坂、浅草と協力し合っています」と説明した。
玄冶店濱田屋のおもてなしについては「国際女将会の皆さまも同じだと思いますが、基本は、気配り、目配り、心配り。気を付けているのは『空気を読む』こと、心配りです」と話した。