
シングル盤レコードのジャケット
茨城県日立市は、総合電機メーカーの日立製作所が鉱山付属の修理工場として1910年に創業した街として知られる。一方で昭和を代表する作曲家・吉田正(1921~1998)の故郷であり、記念館がある。その縁から、JR日立駅では代表曲の一つ「いつでも夢を」(作詞・佐伯孝夫)が流れている。
橋幸夫さんと吉永小百合さんのデュエットで1962年にレコード大賞を受賞した大ヒット曲で、翌1963年には浜田光夫さんと吉永さんのコンビに橋さんを加えた3人の主演による同名映画が製作された。
高度経済成長期の東京の町工場を舞台に、逆境でもひたむきに生きる若者たちを描き、この歌は、明日への希望を失わないスタンダードとなって今も親しまれている。
吉田正音楽記念館は、日立駅から車で10分ほど走った高台にあり、動物園や遊園地を擁するレジャーランドと隣接している。入ってまず圧倒されるのは、2階から5階までの吹き抜けの壁いっぱいに展示された690枚のシングル盤レコードのジャケットだ=写真(日立市提供)。生涯で2400曲を作った吉田の「有楽町で逢いましょう」「東京ナイト・クラブ」などのヒット曲も並ぶ。
4階の展望カフェからは、日立市の街や海が一望でき、地元住民の憩いの場にもなっている。おすすめメニューは土地の銘菓と飲み物の「いつでも夢を」セットだ。吉田歌謡を後世に伝えるコンサートも行われている。
クリーニング店を家業とする家に生まれた吉田は、工業専修学校を卒業後、出征してシベリア抑留を経て復員。満州で、部隊の士気を上げるために作った「異国の丘」が戦後、復員兵の間で歌われヒットしたことをきっかけに作曲家になった。
吉田は戦地で何度も生死の境に立たされている。そのためか「『生きて行くって素晴らしいことです』と音楽を通じて絶えず世の中に語りかけていきたい」としていた。「いつでも夢を」はその思いを映した曲の一つであり、吉永さんと橋さんの「2人の個性の対照が新鮮な感じで、長く愛好される曲を書くことができた」という。
「いつでも夢を」は駅の外でも流れている。戦後50年を節目に1995年に建立された「平和の鐘」からだ。青銅で造られた14個の鐘がコンピューター制御によりさまざまなメロディーを演奏する。1日5回の演奏のうち、午前8時と午後6時が「いつでも夢を」だ。
「過去の歴史を反省し、戦争でなくなられた人びとへの慰霊の意をこめ、永久に戦争のない平和な世界の実現を願う日立市民の心の表象」と紹介されている。この思いは、戦地を生き延びた吉田、そして長年にわたり戦争や核、平和への思いを発信し続けている吉永小百合さんにも重なっていく。(参考文献=「生命ある限り―吉田正・私の履歴書―」財団法人日立市民文化事業団編、2001)
※元産経新聞経済部記者、メディア・コンサルタント、大学研究員。「乗り鉄」から鉄道研究家への道を目指している。著書に「釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝」(世界文化社)、「駅メロものがたり」(交通新聞社新書)など。
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