【道標 経営のヒント 138】桜の季節 石井敏子


 今年も忙しい桜の季節がやってきた。春は再会と別れの季節でもある。今年も何組かのリピーターのお客さまが来てくれた。印象に残った3組を紹介したい。

 最初は社会人1年目のフランスから来たA君。行燈旅館は3回目だ。最初は毎朝7時頃、私が朝食の準備をしていると決まって外から帰ってくので時差ボケかと思っていた。

 3日目の朝フロントに来て浮かない顔で、「ここに電話してくれないか?」と、言ってきた。名刺を見ると六本木のクラブの名前。「黒いジャケットを盗まれてしまって、その中に行燈旅館の鍵とパスポートとポケットWi―Fiが入っていた」という。そこでやっと時差ボケではなく、六本木通いと納得した。クラブに電話をして返答待ちとなったが、とりあえず六本木の交番に届けるように促し、大使館に行ってパスポートの再発行となった。

 行燈旅館創業から数回ほどパスポートをなくした方がいたが、今までは必ず戻ってきた。安心安全な日本という国に皆感心していただいたが、今回はそうはならなかったのは残念だった。紛失したショックで元気のなかったA君もだんだん元気を取り戻し、帰るころにはまた六本木通いをし、最後は笑顔で帰っていった。

 次はイギリスから来たL君カップル。行燈旅館は彼女と昨年来ていて、2週間の滞在だ。L君は3回目。仲良く毎朝お昼前に出かけていき、決まって最終時間のジャグジーを予約していく。

 ある朝掃除をしているとL君がミッキーマウスの大きな風船と共に幸せ一杯の顔で、「昨日ディズニーランドでプロポーズしたんだ」と、言ってきた。彼女も「これ見て」と、ピンク色の石の付いた指輪を見せてくれた。幸せそうな2人を見て私もうれしくなった。夢の国でのプロポーズは外国人にとっても最高のシチュエーションなのだろう。

 その夜にスタッフである娘と相談し行燈旅館から、ささやかながらお花と夫婦箸をプレゼントした。L君カップルのさらに喜んだ顔が私の幸福感を倍にしてくれた。

 最後はアイルランドから来たシニアカップル4人組。ある朝グループの1人の女性から「あなたは覚えていないと思うけど、私たち15年前に行燈旅館に来ているの」と、言われた。15年前というと行燈旅館創業の年だ。15年を経て、再び行燈旅館を選んでくれたという感動と、この大切なお客さまを覚えていなかったことに対しての申し訳なさが重なり、複雑な気持ちだった。記念に写真を撮らせてくれないかと聞いたら、「私は良いけど主人はシャイだから」と言われ、Pさんだけの撮影となった。

 3泊した最後の朝、そんなシャイなPさんの旦那さんが私に話しかけてきた。「息子からもう働くなと言われて旅をしているんだ」。少し寂しげだ。年齢を聞くと70歳。

 「貴方はいつまで働くんだ?」とアラ環の私に聞いてきた。「最初は65歳でリタイアしようと思ったのだけど、年金事務所に行ったら貴方は70歳まで働いた方がいいと言われたから今は70歳まで働くつもりでいる」と言うと、「俺の国でも最近は70歳まで働けと、言われているよ」と、少し皮肉を込めて返された。ひとしきり雑談をした後、すこし長めの別れのハグをした。なんだかお互いの気持ちが通じ合ったような気がした。

 旅をする理由は皆それぞれ、「袖すり合うも他生の縁」と言うが、たくさんの人たちの旅のすがたを見ていると、お客さまは私の人生の師匠でもあると心より思った。

 
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