新型コロナウイルス感染拡大に伴い、宿泊施設特に温泉地の旅館・ホテルは、需要を喚起するために観光協会や行政を含めて、ワーケーションを推奨する事例が増えてきている。また、環境省は、コロナ禍以前から、温泉地の活性化に向けて「新・湯治」を提案し、温泉入浴に加えて、周囲の自然・歴史・文化・食を活かした多様なプログラムを提案している。
温泉を主として研究している者にとって、大昔の湯治はどのようなものであったか、現代と比較することは興味深いことである。最近、日本の「中世の温泉地」を調査された研究者の論文をいくつか読む機会があった。その頃は、今の温泉旅行ではなく、「湯治」のために温泉に行くのであるが、鎌倉時代の湯治者の中には、その体験を日記に残すことも多くい。温泉地で言えば、特に都から近い有馬温泉での滞在の記録が、公家・有力武士・寺僧などの富裕層で身分の高い人よって、多く書かれていることが、研究者によって確認されている。
草津温泉においては、湯畑を見下ろす高台にある光泉寺の境内に、入浴中に亡くなられた人々の霊を供養するための「入浴逝者供養塔」が建立されている。そのことが、温泉地は、病者が治療に行き、健康を回復させる場所であったというイメージが強い。しかし、当時の温泉地においても、治療に来られる方以外に、表面的には病気療養ということを名目として掲げながら、かなりの部分が保養に費やされていることが文献の中から見てとれる。
そのため、温泉地では、入浴時間以外の「非入浴時間」の過ごし方が重要な関心事であったと言える。都から離れた温泉地においては、入浴以外の自由時間は、湯治するものにとって退屈な時間であった。そこで、一般的に行われるのは、
温泉場近くの自然景勝地いわゆる「名所めぐり」や温泉神社・温泉寺・薬師堂等(宗教的施設)の参詣である。保養での湯治は、病気治療ではなく病気平癒を祈願することになる。その外、教養人の嗜みとして「詩宴」「和漢の会」「書写」「写生」「囲碁」等の遊びも見受けられる。湯治に来られたある公家は、「蹴鞠」をして温泉地で過ごした記録もあるようだ。
特に多いのは、「酒宴」で、湯治中の飲酒は通常禁止されているのだが、「湯治見舞」として、縁者から「酒の贈答」があり、必然的に「酒宴」の開催が行われていた。湯治をする者にとって、酒は慎むべきであるという「建前」と実態には、大きな乖離があったようである。
コロナ禍における温泉地において「ワーケーション」を推奨する動きがあると書いたが、論文の中に、権大納言藤原某というお役人が、『年中行事秘蒋抄』を点検し、それに注記をつけるという作業を有馬温泉で行っていたことが知られている。
また、義堂周信(南北朝時代から室町時代の臨済宗の僧)が、有馬温泉で『貞和集』の編集を行ったということも文献で確認されている。お役人の場合、役所に詰めていれば、何かと雑用があり忙しい。まとまった時間を摂り、一気に仕事を片付けたいと思うのも、古今東西、共通の考えである。特にこの時代は、「湯治願い」を出せば、ほぼ許可されている。本意は湯治ではなく、「自由時間」である。湯治によって生み出されるまとまった自由時間は、そのような仕事を行うのにうってつけだったのであろう。これって、現代版の「ワーケーション」ではないのでしょうか。
「これからはワーケーションの時代だ」という幻想。すでに大昔からあった。地方の温泉地は都会からのワーケーションを受け入れ活性化しようという話が広がった。ワーケーションは、中世の湯治場のお役人を見るまでもなく、一部の職種に限られた「湯治方法」であると思う。コロナ禍で在宅勤務が増えているが、パソコン一台で仕事が完結できる職種の人はどれぐらいいるのだろうか。ワーケーションへの設備投資が激化して、各温泉地の良さや特色が蔑ろにされないか危機感を持っている。昔ながらの湯治場風情を残す温泉地もあっても良いのではないかと考える今日この頃である。
【参考文献】
北村彰裕(2010)論文「中世の有馬温泉と湯治」日本温泉文化研究会編『湯治の文化誌 論集【温泉学Ⅱ】』岩田書院
関戸明子(2018)『草津温泉の社会史』青弓社
環境省ホームページ 等