緊急事態宣言下の今、外食はなかなか難しい。幸い会社にキッチンがあるので、ランチタイムに自分で料理をする機会が増えた。
最も出番が多いのは、ちゃちゃっと調理できてそれ1品で済むパスタだ。直近では、ボンゴレ・ビアンコやカルボナーラ、エビトマトクリームなど。でも、ナポリタンってあんまり食べない。パスタはアルデンテじゃなきゃイヤなのだ。
輸入デュラムセモリナ粉100%の業務用商品が発売されたのは昭和36年、数年後には日本でも硬質なデュラム小麦を粗いセモリナ粉にひけるようになり、家庭用が流通し始めたそう。つまりそれまではアルデンテという概念もなく、パスタはうどんに近い食べ物だった。だからナポリタンもあの食感なのだ。
ナポリタンといっても、この料理が日本生まれであることは周知の事実だろう。では、いつどこで生まれたのか? 諸説ある中、有力なのは横浜ホテルニューグランド説だが、これも2説に分かれる。
一つは、開業時から初代総料理長を務めたスイス人シェフ、サリー・ワイル氏を生みの親とするもの。昭和9年のメニューに掲載されていることや、戦前同ホテルで修業され、後にホテルオークラ東京の初代料理長に就任された故・小野正吉氏の証言などが根拠である。
もう一つは、同ホテル2代目総料理長の入江茂忠氏が考案したとする説。同ホテルがGHQに接収されていた戦後、進駐軍の保存食として持ち込まれたスパゲッティを、米兵がケチャップで和えて食べているのを見た入江氏が、ホテルにふさわしい料理にアレンジしたというもので、同ホテル公式サイトにもこの説が掲載されている。
ただ、戦前の婦人誌に、パスタをうどんで代用した「スパケテナポリタン」という料理が紹介されており、ワイル氏説もメニューという証拠があるだけに、入江氏がナポリタンの発案者というのはちょっぴり疑わしい気もする。
でも、ナポリタンで重要なあの食感を生み出したのは、入江氏だとされる。7割方ゆでたパスタをいったん冷まし、5~6時間寝かせてから使うことで、麺がむっちりと軟らかくなり、そのうどんに似た食感が日本人にウケたらしい。
喫茶店メニューとして広まったのは、誰にでも簡単に味が付けられるケチャップを使うようになってから。実は、ワイル氏が経営していた「センターホテル」の料理人石橋豊吉氏が独立開業した洋食店「センターグリル」で、ホテルの名物ナポリタンを提供した際、当時トマトピューレより入手しやすかったケチャップで味付けして以来、それが定着したそうだ。
某旅館で、ブッフェのナポリタンがイマイチ不人気だと聞いた。POP表記を、ナポリタンでなく「昔懐かしいナポリタン」にしてみては?とご提案したところ、効果テキメン、すぐに行列ができたそうだ。それだけ郷愁を誘う料理なのだ。
食感への固定観念は捨てて、今度作ってみよう♪
※宿泊料飲施設ジャーナリスト。数多くの取材経験を生かし、旅館・ホテル、レストランのプロデュースやメニュー開発、ホスピタリティ研修なども手掛ける。