日本に冷食が登場して100周年。1920年、葛原猪平という人が米国の冷凍冷蔵事業を視察後、米国人の冷凍技師とともに帰国し、北海道で日本初の冷凍設備を建設したという。初めて生産されたのは、噴火湾で取れた魚だったそうだ。
市販冷食第1号となったのは、イチゴを凍らせた「イチゴシャーベー」。時は1930年、旬の春しかなかったイチゴがいつでも食べられるというのは、夢のようなことだっただろう。だが、まだ家庭に冷凍冷蔵庫が普及していなかったため、爆発的な大ヒットとまではいかなかったようだ。
日本に冷食が普及したキッカケは、1964年の東京五輪。オリンピックに出場する選手は7千人以上、会場を訪れる人も含めると、膨大な量の食材が必要だ。これを生鮮食品だけで賄うと、市場が食材不足に陥り、物価高騰を招くことになる。そこで一流ホテルのシェフたちが呼び寄せられ、冷食を使った調理技術が研究されたそうだ。
その後、1970年の大阪万博でも冷食は力を発揮し、さらにはセントラルキッチンで作った料理を各店舗で提供するファミレス方式が確立。1987年には家庭用電子レンジの普及率が50%を超え、冷食がより身近になったという。
冷食メーカー各社の技術の進歩には、目を見張るものがある。冷食の歴史を変えたと言われるのが、ニチレイから1994年に発売された冷凍コロッケだ。レンチンするだけでサクサクな衣が再現できる画期的な商品だった。続いて、1999年にニッスイから発売された、自然解凍できるお弁当用惣菜。凍ったままお弁当に入れれば、お昼にはちょうど食べ頃になっているという優れモノである。
冷凍餃子(ギョウーザ)の進化も目覚ましい。売り上げ日本一を誇る味の素は、1997年に油なしで焼ける餃子を開発。さらに2012年には、油・水なしで、誰でも簡単にパリッとした羽根付き餃子が焼ける商品を完成させた。餃子一つ一つについた「羽根の素」がヒミツだ。後発の大阪王将が2018年に発売した羽根付き餃子は、何とふたもいらない。保湿性の高い生地を開発し、皮が水分を保持することで蒸し工程を省き、独自の乳化技術で油の飛び跳ねを抑えた。
冷凍炒飯売り上げナンバーワンはニチレイだ。約4年の開発期間を経て2001年に発売された「本格炒め炒飯(チャーハン)」は、ご飯粒を卵でコーティングすることで、プロが炒めたかのようなパラっと感を出した。2015年に約30億円を投じてリニューアル。250度以上の高温熱風をご飯に吹き付ける「三段階炒め製法」を開発、おいしさがアップした。
冷凍餃子にはよくお世話になるが、炒飯は食したことがない。だが、こうした開発秘話を知ると、食べてみたいなぁと思う。より扱いやすく美味であることを追求して人々が注いできた情熱が、ニッポンの冷食を完成度の高い物にしたのだ。たった百年でものすごい進化を遂げた冷食。便利でおいしい、その恩恵にあずかれることに感謝!
※宿泊料飲施設ジャーナリスト。数多くの取材経験を生かし、旅館・ホテル、レストランのプロデュースやメニュー開発、ホスピタリティ研修なども手掛ける。