東京・隅田川に架かる両国橋のたもとに、その店はある。正面入り口の上には金色に輝く大きな猪(いのしし)の彫刻、そして店の横には三頭の大きな猪の剥製。ここ「ももんじや」は、猪鍋をはじめとする獣肉料理店だ。
「ももんじ」とは「百獣(ももんじゅう)」のことで、獣肉を意味し、江戸時代はそれを扱う店を「ももんじ屋」と呼んだそうだ。正式な屋号を「ももんじや(登録商標)・吉田屋」という同店も、享保3(1718)年創業。江戸の味を、300年以上も守り続けて来たワケだ。
日本では、675年に天武天皇が肉食禁止令を出して以来、明治の文明開化の波が押し寄せるまで、殺傷を禁ずる仏教の教えもあって、肉食はタブーとされていた。だが、実際全く食べなかったのかというと、そうではなかったようだ。
農耕に役立つため、食用として最も忌避(きひ)されたのが牛肉。実は幕府に牛革を献上していた彦根藩は牛の屠殺(とさつ)が認められており、余った肉を味噌(みそ)漬けにして、薬用として将軍家や御三家に献上していたのだ。赤穂浪士の大石内蔵助が、同士の堀部安兵衛に、彦根産牛肉の味噌漬けを贈った書状も残されている。
肉を食べることを「薬喰(くすりぐ)い」と言い、名前も隠語で表現された。猪肉は「山くじら」または「ぼたん」、鹿肉が「もみじ」、馬肉は「さくら」。同店も元は薬屋だったが、冷え性や疲労回復に効果がある猪肉を薬として提供したのが、料理屋になったキッカケだそうだ。
先日伺った際いただいたのは、猪のスジ煮、猪の叉焼(チャーシュー)と鹿肉のロースト、鹿刺し身、鹿竜田揚げに猪ヒレ網焼き、熊ソース焼きに猪鍋というラインアップ。
鹿も猪も、フレンチやイタリアンでジビエとしてたびたび食していたし、ヤギの刺し身やラクダのコブの煮込み、ワニのステーキに仔(こ)羊の脳ミソのポワレ、カンガルーのカルパッチョなど、いろいろと食してきた筆者だが、熊肉は今回が初めて。臭いと聞いていたが、ちょっぴり濃い目の味付けで、おいしくいただけた。
やっぱり特筆すべきは猪鍋。ぼたん鍋、しし鍋とも呼ばれるこの鍋、仲居さんが手際よく作って下さる。煮れば煮るほど美味ということで、スグに味をみたいところをじっとガマン。ようやくOKが出て口に運べば、味噌仕立てのおつゆと、べっ甲色になった脂のうま味がベストマッチ!
野生の猪肉がおいしいから、それを家畜化したのが豚なんだから、ウマくないワケがない。美味な上、ビタミンB群や鉄分も多いから、健康にも良いのだ。
十代目の吉田龍作社長、肉質にはかなりこだわりがあり、天然物しか使わない。この日は丹波篠山産だった。亥年の今年、12年に1度の大忙しだと語る同氏、小さい頃から跡を継ぐものだと思ってごく自然に受け継いだそうだ。
歌川広重の錦絵にも、「山くじら」の看板が描かれている。当時すでに同店も看板を掲げていたんだなぁと、思いをはせる。ニッポンの食文化の伝統って、ホントに素晴らしい!
※宿泊料飲施設ジャーナリスト。数多くの取材経験を生かし、旅館・ホテル、レストランのプロデュースやメニュー開発、ホスピタリティ研修なども手掛ける。