岩手山と北上川のある望郷の村
「ふるさとの山に向かひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」
駅前広場に歌碑が立つ盛岡は啄木が中学時代と新婚時代を過ごした町である。
生まれたのは北郊の玉山村。翌年、住職の父の転任で渋民村に移住し、感受性豊かな幼少期を過ごした。
「かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山おもひでの川」と詠んだふるさとは、いわて銀河鉄道の渋民駅から歩いて約25分。
最初に立ち寄ったのは、奥州街道(国道4号)の宿場町だった集落の一角に立つ石川啄木記念館。館内には直筆ノートや手紙、日記、生活用品と、中学中退で上京し歌壇で注目されながら盛岡、東京、函館、札幌、小樽、釧路、東京と転々とした貧困と病苦の26年の短い生涯が紹介されていた。
その敷地に学齢より1年早く入学し神童と呼ばれ、のちに教壇に立った渋民尋常高等小学校と、代用教員時代に間借りした斎藤家住宅が移築復元されていた。記念館のすぐ裏手の宝徳寺の本堂には啄木の部屋、前庭には閑古鳥(カッコウ)を詠った歌碑がある。ペンネームは境内の木を啄(ついば)むキツツキ(啄木鳥)から思いついたのだろう。
山門の向こうに見える岩手山の方角へ、国道を横切り北上川河岸にある渋民公園まで7~8分歩く。入り口に茶屋があり、広場の中央に「やはらかに柳青める北上の 岸辺目に見ゆ泣けとごとくに」の大きな歌碑が立っていた。
公園横の北上川にかかる好摩駅への鶴飼橋は啄木が旅立ちや帰郷の度に渡った橋で、ここから眺める岩手山が好きだったという。
教員時代、生徒を巻き込んだストライキ事件で「石をもて追はるるごとく」ふるさとを出て各地を漂泊した啄木だが、心の中にはいつもふるさとの山や川をもつ、望郷の人であった。
渋民を歩いていると、啄木の歌心を湧かせた風物に出合う。それはいつかどこかで見たふるさとの原風景に重なる。
(旅行作家)
●盛岡市観光交流課TEL019(613)8391