舟運と街道で花開いた白壁の街並み
徳島県北部を西から東へ流れる吉野川。その中流部に舟運と街道の要衝にあって、江戸時代から大正時代にかけて藍の集散で殷賑を極めた脇という町がある。
徳島線穴吹駅からバスで10分。南町通りに足を踏み入れると、電柱も看板もない南町通りに江戸・明治時代からの白漆喰壁の古くて美しい町並みがこつ然といった感じで現われた。
約400メートルの通りの両側に藍の集散や売買で財を成した本瓦葺き、塗籠めの漆喰壁、出格子、虫籠窓、蔀戸のさまざまな意匠の重厚な商家が軒を連ね、見事な卯建を上げている。
卯建は隣家との間の防火壁だが、いつからか事業などに成功した家が富や家格を誇示するかのように金をかける風潮が生まれた。人間の嫌味な一面だが、まさに「うだつが上がる(出世する)」証しであった。
そうした町並みの中で、ひときわ目をひくのが600坪の敷地に主屋、質蔵、藍蔵などが中庭を囲んで立つ、脇町1、2の豪商だった藍商佐直・吉田家住宅。脇町屈指の豪商の建築美と暮らしぶりが見学できた。
脇町には300年を経た国見家や田村家をはじめ歴史的建造物が85棟。最盛期には100軒もの藍商が活躍した。
藍がこれほど富を生んだのは阿波藩が督励し、専売にしたからで、阿波25万石の内実は藍50万石といわれるほど藩財政を潤した。
町の南を流れる吉野川は舟による集散の要路。また度々の氾濫は流域の土壌をそっくり入れ替えるので連作を嫌う藍栽培に適した。
炎天下の刈り取りや蒅(すくも)作りなど藍作農家には過酷だが、富を得た藍商人は豪遊。彼らが阿波踊りを盛んにしたという。
それも化学染料の出現で衰退。しかし昭和63年に重要伝統的建造物群保存地区の選定や司馬遼太郎『街道をゆく』で注目。卯建をシンボルに観光地になった。使うほどに風合いを増す藍のような、時を経た脇もそんな町である。
(旅行作家)
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