大学を卒業する際、私は自衛隊に入ろうとした。制服が好きだったし、埼玉県朝霞市に自衛隊体育学校があり、オリンピックを目指す環境が整備されていたからだ。全米選手権で優勝し、レスラーとして最盛期、自衛隊員として活躍してやろうと考えていた。また、父親の軍隊生活を子供の頃に聴かされ、一種の軍人への憧れが私の心に宿ってもいた。
東ミシガン大に留学中、私はROTCという課目を選択した。ROTCは、米軍が将校の育成を目的として全米中の大学に設置する訓練課程で2単位を取得できる(ROTCとは、Reserve Officers’ Training Corpsの略)。卒業後に4年間軍隊に入ると約束すれば、奨学金が出るシステム。米軍は軍人づくりのために国あげて熱心だった。ROTCの教官はエリート軍人、魅力的で紳士だからか、多くの学生たちが選択していた。授業の初歩は、歩行訓練と軍服や軍靴の手入れ、ボタンや襟章を磨く訓練、けっこう楽しかった。
留学生の多くが選択していたのは、英語が不得意でも単位が取れる上に、軍隊に入隊すれば容易に市民権や国籍を取得できるからだと耳にした。ベトナム戦争時だったため、1人でも多くの軍人を政府が求めているようでもあった。さらに、米国では一般的に軍人は国民から尊敬されていた。米ソの冷戦時代でもあったがゆえ、国民の国防意識が高かった。
ひるがえって、最近、市中で自衛隊の制服を着用する隊員を見かけない。隊員であることを誇りに思わないのだろうか。それとも身分を明かすと疲れるからだろうか。堂々と胸を張って隊員に行動してほしいと願う。日本では、自衛隊と隊員を尊敬しない風潮もある。国と国民のために、大変な思いで働く人たちの組織を評価しないのは「平和ボケ」の象徴であろう。自然災害時でも自衛隊なくして復興はできない。憲法違反の組織だと主張する政党や団体が存在するため、隊員募集に各自治体も熱心に取り組まないのは残念だ。
防衛大学校の卒業生のうち、近年では5%以上が任官拒否者である。2018年は38人、7%強だった。特別職の国家公務員の防大生、任官を拒否すれば国民が落胆することを理解してほしい。自由といえば自由だが、国民の期待を裏切るに等しい任官拒否、国民の国防意識の低下を反映させているともいえようか。
自衛隊が発足したのは1954年、防衛庁設置法により保安隊、警備隊を改組してスタート。だが、悲しいことに定員を充足できず、ほぼ1割の定員割れが続いている。防衛省は、全国50カ所に自衛隊地方協力本部を置き、募集相談員等の協力を得ながら募集に力を入れる。また、地方公共団体は、募集期間等の告示や広報宣伝を行い、自衛官と自衛官候補生の募集に関する事務の一部を行う。が、自治体によって、その温度差が大きい。自衛官募集を他人事と捉えている自治体も散見する。防衛省は、自治体のそれらの経費を配分しているが、それほどの協力を得ていないのが現実だ。
76年間、戦禍にまみれなかった日本、安全保障は米軍頼みと私たちは決めつけてはいまいか。自分たちの国は、自分たちで守るという意識が希薄になってしまった。左派系の首長が誕生したり、議会も左派系の議員が増えることもあって、自衛隊への協力が弱くなっている。自衛隊自身も女性隊員を増加させたり、改革を急いでいる。
各自治体は、隊員募集に力を入れて協力すべきである。困ったときには自衛隊を頼りながら、募集をおろそかにする姿勢は都合主義すぎる。自治体によっては「自衛隊友の会」を作り、応援したり交流したりしている。「隊員募集日本一」を誇る自治体の出現を期待したい。隊員は各種の免許や資格を取得し、除隊後にそれらを生かしている。再就職のための活動も自衛隊は熱心である。
私の自衛隊入りは、大学院進学のために流れたが、いまもさまざまな協力をさせていただいている。隊員に名誉を与え、米国並みに尊敬しようではないか。