家のガスコンロが壊れ、最近のガスコンロ事情を知ることとなった、前号のお話の続き。それにしても、ガスコンロの登場は人類の「調理」という行為を、飛躍的に進化させたと思う。少し前、「深川江戸資料館」で、庶民が住まう長屋の台所の様子を見学したとご報告したが、火を使う調理の燃料はまきだった。「へっつい」と呼ばれる竈(かまど)で煮炊きするには、いちいちまきで火を起こさなければならない。だから「火吹き竹」が必需品だ。わが家のBBQでも、ステンレス製の伸縮自在な「火吹き棒」が大活躍。コレがなきゃ、火力の弱まった炭は復活しない。でも昔は、たまの遊びでなく、生活のために毎朝早起きして火を起こしていたのだ。
そう考えると、ガスの発明自体が当時の人々にとって画期的だったに違いない。ガスを使うようになったのは「文明開化」とうたわれた明治時代だ。さまざまなモノが海外から入ってきたこのころ、1872年に横浜で初めてガス灯がともった。当時は専門職人が夕方一つずつ火を灯し、朝になると消すという方法で、1人50~100本のガス灯を受け持っていたというから驚く。それでも、あんどんやちょうちんに比べればスゴイことだ。
明治時代後半になると、明かりだけでなく調理や暖房の熱源としてガスが利用され始めたそうだ。暖房だって、それまでは火鉢だったし、アイロンだって炭を入れて使っていた。思い起こせば、父方の祖母の家のダイニングテーブルは、8人くらい座れる大きな作り付けの掘りごたつだった。夏は布団が取り除かれ、足下の熱源にもふたがしてあったが、冬になると温かいこたつに。その熱源は、何と炭だったのだ。今思うと、ちょっぴり怖い。
ガスコンロも普及した。火を起こさなくても、カチッとひねれば火が点くのだから、超便利! しかも火加減が自由に調節できるなんて! それまで竈の前でしゃがんで火吹き竹を使っていたのが、立ったまま調理ができるようになったのも、ポイントが高い。
さて、そのガスコンロだが、コンロはカタカナ表記だから、外来語だろうと思い込んでいたが、実は「焜炉」と書く日本語なのだとご存じだろうか? 焜とは輝く・光るという意味で、炉とは火や香などをたく設備や器具のこと。英語ではkitchen stoveと呼ばれる。
…そうそう、前回のナゾ、スマホとの連携って? コンロと接続したスマホのアプリからレシピを選ぶと、まず買い物リストが作れるという。しかも、複数の料理に対応できるらしい。そして、購入した食材を下ごしらえしてコンロにかけ、スマホから送信すれば、あとは自動で火加減を調整して作ってくれるそうだ。さらに、自動調理中に作れるもう1品のレシピを勧めてくれたり、よく使うレシピはコンロに登録できたりと、至れり尽くせり。イマドキの進化にビックリ! さぁ、どの機種にしよう? 「調理を楽しく」というメーカーの気持ちが伝わってきて、選ぶのも幸せ♪ 早く使ってみたいな!
※宿泊料飲施設ジャーナリスト。数多くの取材経験を生かし、旅館・ホテル、レストランのプロデュースやメニュー開発、ホスピタリティ研修なども手掛ける。