2018年の出来事を振り返り、その世相を表す「今年の漢字」に「災」が選ばれ、京都清水寺貫主が揮毫(きごう)した。18年は台風21号をはじめ、西日本豪雨や北海道地震など自然災害が相次いだことが反映されたのだろう。一方で、自然災害ならずとも、職場や学校教育現場、スポーツ界でもパワハラなどが後を絶たない状況が続いている。
当然ながら「人災」もあることを認識し、そのようなことが起こらない人間社会の構築を目指すべきとの警鐘であろう。自然の猛威は防げないが、その中から生命財産を守る知恵と行動は起こせるはずである。
過日は、防災遺産が「『百世の安堵』~津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産~」として日本遺産に登録された和歌山県広川町を視察した。
1854年の安政大地震津波から住民を救ったとされる豪商、濱口梧陵の史実をもとに物語にした「稲むらの火」が尋常小学校の国語の教科書に載ったこともあり、濱口梧陵記念館と併設された津波防災教区センターは過去の歴史を教訓にした防災教育に効果が高い施設である。
われわれは資源調査もしたので多くの関連施設を視察したが、拠点施設と関連施設の融合により理解が深まることになる。とりわけ、1年に一度の公開しかされていない濱口家住宅はヤマサ醤油(しょうゆ)の創業家だけに、約300年前から100年前までの一部木造3階建ての豪華な建造物は、幕末の著名人が訪れたとされる書画文書があり、賓客をもてなすための工夫を凝らした造りと庭園に驚かされる。建築設計や木材などの建築資材に精通した者なら何時間も見ていられる住居である。
また、安政大地震の当日も濱口梧陵の誘導で村人が目指し命を落とさずにすんだ高台に「廣八幡神社」がある。日が落ちて方角すら分からない人のために海から神社までの間にある田んぼの稲むらに火をつけて目標とした。村人が避難の場所、約束の場所として誰もが認識していて、神社の社殿は朱塗りで荘厳な造りである。信仰のあつさも垣間見ることになる。
濱口梧陵の没後に親交のあつかった勝海舟が揮毫した顕彰碑が境内にある。長文で立派な碑があることからその偉大さが伺い知れる。いくつかの商家の名残がある街並みを歩き、津波後に住民が築いた長さ600メートル、高さ5メートルの「広村堤防」は重機のない時代に大量の土を運び、よくぞここまで築いたと、志の高さを感じることができる。
私財を投げ打ち、人力を惜しまず、地域のため、後世のために生きた多くの先人がいたからこそ、今日の日本があることを理解する必要がある。
全てとは言わないまでも、政治家も己の選挙の資金集めに奔走し、金額訂正や公的資金の私的利用など、誰を見て誰を思い政治をしているのか。企業人も自分に入るお金の細工に知恵を使う。わが国の未来を考える気骨ある人物とその行動が求められている。平成最後の年をいい年にしたいものである。