小生はホテル歴42年。現在はリゾート旅館の社長の肩書であるが、出目は生粋のホテルマンである。企画開発を生業とした関係で、数多くのホテル事業と関わることができた。ホテル会社が存在すれば、「代取社長」がおり、ホテルが存在すれば責任者である「総支配人・GM」がいる。ただ、その(力)関係は、それぞれの事業で、環境、経済条件、出身、資質などの要因からさまざまであった。「経営」と「運営」の分離が言われて久しいが、これは経営の効率化からの発想よりは、MC(マネージメントコントラクト)など受委託による契約行為から、求められた背景があるものと思われる。
興味深い話がある。わが国では、90年代のバブル経済崩壊以降、外資ホテル企業による、このMC方式での進出が相次いだ。外資ホテルのGMが、意気揚々と本国から赴任したが、最初にカルチャーショックとして頭を抱えたのが次の問題だった。(1)ヒト、モノ、カネの裁量権が限られている(2)DP(部門利益)の考え方がない(3)婚礼、宴会など、ユニフォーム会計が通用しない。
特に裁量権の問題は深刻で、社長およびライン上の管理担当に、人事、資金、投資、調達などの権限が集中するわが国の決定システムは異例だったのである。外資本部と委託先の交渉の末、GMの裁量権が認められ、外資ホテルの進出が定着していったとの話である。
ただ、小生の現況は、経営者でありながら営業の仕事もしている。いわば、「社長・総支配人」の兼務が実態で、権限委譲、職務分担など及びもつかない。このような時はどうするのか? 1人2役の顔を持ち、時には厳しく、時には優しく、持ち得るキャラを総動員して、ジキルとハイドを演じきるのである。
一方で、初めての旅館業に、ホテルにはない強みを感じている。それは営業の要としての「女将」の存在に象徴される。女将は接遇の長であり、その業務は全てゲストを原点として進められる。守備範囲は広く、たとえ社長でも聖域として口出しはできない。「番頭」「仲居」らにしても業務の境界はなく、何でも請け負うのである。旅館にこそ、エンパワーメント、マルチジョブ、そしてホスピタリティの精神は脈々と流れている。
万年孤独な社長・総支配人としては、スタッフから有能な女将、番頭、仲居らが輩出されることを心待ちにする毎日である。
(NPO・シニアマイスターネットワーク会員 ホテル四季彩代表、小田成穂)