飛騨高山旅館ホテル協同組合(岐阜県高山市、住吉人理事長)は11月29日、同市のひだホテルプラザで創立100周年記念式典とシンポジウムを開いた。住理事長は、世界に目を向けた観光地づくりを今後も推し進める考えを強調した。
式典で住理事長は「大正元年に宿屋組合を先輩達がつくり、それぞれの時代に対応した組合活動を行ってきた。ディスカバー・ジャパンで、高山は一躍脚光を浴びる観光都市となった。官民一体となった観光行政も行われてきた。近年は、地方都市には珍しい外国人観光客が数多く訪れる観光地となった。これからも地域の観光の中心としてがんばっていきたい」とあいさつ。
次いで、組合の歴史や、今年度行った100周年の記念事業を紹介。新調した組合旗や、新たに結成した組合女性部も披露した。
記念式典に先立ち、シンポジウムを開催した。「明日を生きる飛騨高山の観光と町づくり〜これからの100年を創造する〜」をテーマに、人材育成や官民一体となった取り組みの重要性について、意見が交された。
コメンテーターに写真家の浅井慎平氏、パネリストには高山市の國島芳明市長、飛騨・高山観光コンベンション協会の堀泰則会長、高山商工会議所青年部会の津田尚幸会長、高山青年会議所の益田大輔理事長、JTB中部多治見支店の齊藤詠子支店長が登壇。住理事長がコーディネーターを務めた。
浅井氏は「さすが高山だと言わせることが重要。そぞろ歩きできる街づくり、街を盛り上げる取り組みを実現してほしい」とアドバイスを送った。
同組合は1912年(大正元年)、高山宿屋営業組合として、43軒で発足。その後、高山旅館協同組合などを経て、2004年に飛騨高山旅館ホテル協同組合となり、現在に至る。会員数は1979年度の204軒がピークで、2012年度には68軒まで減少している。会員施設の収容人員は1996年度の8529人が最高だが、12年度も7247人と高い収容力を維持している。
高山は、旧国鉄が1970年に開始したキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」を契機に全国的な観光地に発展。その後、1986年に国際観光モデル地区に指定され、欧米からの観光客が増加。年間観光客数約400万人、宿泊客数約130万人を数える。
浅井氏を迎えた100周年記念シンポジウム