全国修学旅行研究協会(全修協、岩鍚正司理事長)は7月28日、東京のホテルグランドヒル市ヶ谷で第33回「全国修学旅行研究大会」(文部科学省、観光庁、近畿日本ツーリスト協定旅館ホテル連盟、日本旅行業協会、観光経済新聞社など後援、近畿日本ツーリスト協賛)を開いた。「被災地復興への継続的支援」をテーマに、東日本大震災と原発事故で大きなダメージを受けた東北への修学旅行と、東北からの修学旅行の事例を発表。被災地や地方で修学旅行を行うことの意義や、修学旅行自体の意義が改めて示された。内堀雅雄福島県知事も、「ホープツーリズム」を進める同県への修学旅行を呼び掛けるメッセージを寄せた。
神奈川県横浜市立浦島丘中学校は、岩手県奥州市への修学旅行の事例を紹介した。
市東部の東京湾に接した一帯にある同校は、今年まで14年間にわたり奥州市での農村生活体験を中心とした修学旅行を続けている。
2011年も5月27〜29日に同市での修学旅行を計画していたが、3月11日の震災発生で状況が一変。(1)計画通り実施(2)日程変更(3)目的地変更(4)中止—の四つの選択肢から検討を余儀なくされた。そして職員らが検討を進めた結果、日程を変更しつつも、同市での修学旅行を実施することを決定した。
他の学校行事との兼ね合いから、実施日を8月31日〜9月2日に決定。保護者に対しての説明会では、職員による下見ビデオを上映したほか、緊急時の職員の役割分担と対応を、想定される場面ごとに詳しく説明。保護者に安心感を与えることに腐心した。余震や放射能が心配との声には、検知された放射能が国が定める基準以下であるとの客観的なデータを示して説明した。
初日に同年に世界遺産登録された平泉・中尊寺を見学。その後、奥州市の農家に移動し、農業体験と民泊を行った。被災地となった同市には日用品や食料が入った段ボール5箱分の救援物資も贈った。
都会暮らしで「普段家族と触れ合う時間が少ない」という生徒らは「最初は早く帰りたいと思ったが、2日たったら帰りたくないと気持ちが変化した」「農家の人たちに家族のように親身になって接してもらった」と感想を語り、職員らも日程を延期しながらも、同地での修学旅行を行って本当によかったと実感したという。
現地からは修学旅行を終えた生徒らと、さらに交流したいと申し出があり、11月5〜6日に旅行の思い出を語り合う交流会を実施。「奥州市との絆がより深まった。震災の時に方面を変えていたら、ここまでの付き合いにはならなかったのではないか」と、今後も同地での修学旅行を実施する予定だ。
福島県飯舘村立飯舘中学校は、震災と原発事故が発生した2011年も東京、鎌倉など関東方面に2泊3日の修学旅行を実施した。
同村は原発事故で計画的避難地域に指定。住民全員が村から避難し、中学校は隣町(川俣町)の川俣高校を仮校舎として4月21日に授業を開始した。
震災当時、175人いた生徒が県外避難などで145人に減少。修学旅行の実施も不安視されたが、当初の4月から9月に延期して旅行が実施された。生徒らは避難生活で制限が多い日常から解放され、心癒やされる3日間になったという。保養の側面が強い修学旅行となったが、「修学旅行の存在の大きさを再確認するとともに、(修学旅行が)厳しい現状からの希望の光となった」と同校。
今年の修学旅行は「キャリア教育」を目的の一つに加えた。地域は復興が進んでいるものの、基幹産業の衰退で失職者が増加。「生き方を考え、主体的に進路を選択する能力や態度を養うことが極めて重要」と考えたからだ。
旅行先の東京で班別行動による企業見学を実施。生徒らは働くことの意義や、福島と“都会”との職業の違いなどを学んだという。キャリア教育は今後も継続するという。
研究大会ではこのほか、福島民報社の早川正也編集局長が福島の現状と課題をテーマに講演。
内堀雅雄福島県知事はビデオでメッセージを寄せ、「県の修学旅行は激減状況が続いている。県では従来の歴史学習、自然体験に加え、震災の教訓を学ぶ、福島ならではの『ホープツーリズム』に磨きをかけている。高い学習効果を持つ福島県においでいただきたい」と、集まった教育、旅行関係者らに呼び掛けた。