歴史と文学が香る木曽路の宿場町
江戸と京を結ぶ中山道。その中ほどに十一宿が連なる木曾路は、島崎藤村の『夜明け前』の書き出しのように「すべて山の中」である。
最南にある馬籠宿へは中津川から石畳の十曲峠を経て、急坂に連なる町並みに爪先上がりで入った。
隣の妻籠宿と異なり、明治の大火で本陣、問屋、旅籠など古い町並みの大半を焼失。けれど出桁造りなどの建物でかつての宿場の面影を伝えている。
その中ほどにあるのが本陣や問屋、庄屋を務めた馬籠きっての旧家の島崎家。明治から昭和にかけて活躍した文学者・島崎藤村の生家だ。跡地に黒い冠木門構えと板塀の藤村記念館が建てられ、自筆原稿や作品、愛用品などを展示している。
隣接の大黒屋は造り酒屋で、遺された大黒屋日記は『夜明け前』執筆の重要な資料になった。また同家のおゆうさまは「まだあげ初めし前髪の……」の詩『初恋』のモデルになった憧れの人である。
街道には当時の上段の間を復元、家財や什器を展示する「八幡屋」の屋号の馬籠脇本陣史料館や、藤村の書簡や掛軸、文書、書画、陶磁器を展示する清水屋資料館などがある。島崎家一族が眠る永昌寺も近かった。
藤村こと島崎春樹が馬籠で育ったのは10歳まで。銀座の泰明小学校や白金の明治学院に学び、仙台、小諸、東京と転居。亡くなったのは昭和18年、湘南の大磯。
それゆえ故郷になじみは少なかったが、敗戦で荒廃しきった昭和22年に、地元の壮青年有志が藤村への敬愛と馬籠の誇りを込めて記念館を開設している。
記念館入り口の白壁にかかる額に「血につながるふるさと、言葉につながるふるさと、心につながるふるさと」の藤村の言葉がある。
『夜明け前』に馬籠の風物がよく出てくるように心にはいつもふるさとがあったのだろう。その馬籠が平成17年に長野から岐阜へ越県合併。信濃の印象が強い藤村だが、どう思っているだろうか。(旅行作家)
●馬籠観光協会TEL0573(69)2336
中尾隆之(なかお・たかゆき) 北海道生まれ。高校教師、出版社を経てフリーの紀行文筆家に。歴史の町並み、味、温泉、鉄道分野の執筆・著作多数。全国銘菓通TVチャンピオン。日本ペンクラブ会員、日本旅のペンクラブ代表