【日本ふるさと紀行 35】深谷(埼玉県)~実業家・渋沢栄一のふるさと


上州の山並み浮かぶのどかな田園風景

 
 埼玉県北部の深谷は、江戸時代には中山道10番目の宿場で栄えた。その面影が旧街道に今も残る。明治時代に藍や養蚕、のちに盛んになったネギ栽培は特産品として知られている。

 その玄関口の深谷駅は目を見張るほどの赤レンガのしゃれた建物。東京駅の赤レンガが深谷産であることから、約50万枚の赤レンガパネルを使って東京駅そっくりに改築した橋上駅だ。

 北口を出ると高い台座に「青淵澁澤榮一像」があった。近代日本経済の父と仰がれる渋沢翁が深谷出身だからだが、生地は北西に6キロ離れた赤城おろしが吹き抜ける旧血洗島村である。

 生家の旧渋沢邸「中の家」は、武家屋敷風の立派な構えだが、養蚕や藍玉で財を築いた半農半商。この家の長男に生まれた栄一は、幼くして父から学問を授けられ、従兄の尾高惇忠から漢学を学ぶ。10代半ばで『論語』や『四書五経』『史記』を習得したという。

 ひととき尊王攘夷論に染まるが、24歳で京に出奔。徳川慶喜に仕え、幕末に慶喜の弟・昭武に随行して西欧を見聞。滞欧中にチョンマゲを切り、洋装に変えて西欧の制度や仕組みを精力的に学んだ。人間平等思想にも感銘を受けた。

 帰国後、大蔵省に出仕するが4年で退官。実業界に転じて深谷に煉瓦工場を開設。第一国立銀行、東京瓦斯、王子製紙、帝国ホテルなど500社の設立に関与。養育院など社会福祉事業や大学、病院設立など関係事業も600を超えた。

 幼くして学んだ『論語』にちなみ、生家の周辺ののどかな田園は「論語の里」と呼ばれ、尾高惇忠生家や青淵由来之跡の碑、拝殿寄進の諏訪神社など栄一ゆかりの場所めぐりができる。

 八基公民館に併設の渋沢栄一記念館では「富をなす根源は仁義道徳」と主張する「道徳経済合一説」の生前の講演テープを聞いた。

 92歳で亡くなるまで多忙な中、しばしば帰郷したという。今年も命日の11月11日が近い。

 (旅行作家)
 ●渋沢栄一記念館TEL048(587)1100

 
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