岩木山を望むのびやかな津軽平野の町
さくらんぼ(桜桃)の季節になると思い出す人物がいる。毎年6月19日、津軽・金木では生誕祭、対して東京・三鷹では桜桃忌(入水自殺の玉川上水で遺体発見の日)が催される。『斜陽』や『人間失格』でおなじみの小説家、太宰治である。
彼が大地主、津島家の6男(修治)として生まれたのは明治42年(1909)。生家は太宰治記念館「斜陽館」として残っている。
そのふるさとへは五所川原から津軽鉄道で20分。金木駅から7分ほど歩くと、赤レンガ塀と赤い屋根の豪壮な建物があった。広い土間や板の間、銘木ヒバやケヤキを惜しみなく使った1階11室、2階8室の和洋の部屋が公開されていた。
ここが旅館「斜陽館」の時に泊まったことがある。朝食の大広間で太宰に憑りつかれた女性たちと言葉を交わしたことを思い出す。
46年続いた宿が終わった後に町が買い取り、記念館として開設したのは20年前とのこと。原稿や書簡、初版本など600点の展示もかなり見応えがあった。
父は国会議員や公職で多忙の身、母は病弱。裕福ではあったが両親の愛は薄く、叔母や子守のタケに育てられた。読書を大いに勧めたタケに連れられて見た十王曼荼羅(地獄絵)におびえた雲祥寺、津島家菩提寺の南台寺、妻子を連れて1年3カ月住んだ太宰治疎開の家「旧津島家新座敷」など、ゆかりの場所が近くにある。
金木小学校の通学路にある思い出広場には、レンガ壁に太宰の作品名プレートが年代順に並ぶ。ひと駅北の芦野公園はよく遊んだ水辺の自然公園で、好みのマント姿の太宰治像や文学碑が立っていた。
金融業など資本家階級の引け目から実家や親に対する反目や苦悩を抱えた太宰だが、小説『津軽』では自己を見つめ、故郷への思いが純化してゆく。
その文庫本を片手に、「走れメロス号」や夏は風鈴列車が走る津軽鉄道でゆっくり訪ねたい。
(旅行作家)
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