試情と郷愁を呼び覚ます播磨の小京都
姫新線本竜野駅に降り立つと、プラットホームで子守姿の姉やの像に迎えられた。碑には「夕焼、小焼の赤とんぼ」の歌詞があり、駅前にも「赤とんぼ」の像が立つ。タクシーも「赤とんぼ交通」を名乗っている。
この「赤とんぼ」の作詞の三木露風の生まれた龍野は、江戸時代に脇坂安政によってひらけた5万3千石の城下町。鶏籠山上から山麓に移した龍野城は、石垣と復元の埋門、多聞櫓、隅櫓が昔日をしのばせ、今も町のシンボルである。
武家屋敷は城の西側、寺町は南側。東南の緩やかな坂道には白壁や格子窓の商家、町家が連なり、その先に水清い揖保川が流れる。
小路に漂うもろみのにおいは、江戸時代から続く特産の淡口の龍野醤油。今も大小10余の工場があり、手延べ素麺(そうめん)「揖保乃糸」とともに町の経済を支えている。
この町に露風が生まれたのは今から128年前。城の正面に立つ瓦ぶき・白漆喰壁の生家は内部を公開。
展示には6歳の時に両親が離婚、祖父の家で育ち、16歳で詩集を出し、2年後に上京して早大や慶大で学び、のちに北原白秋とともに詩壇に「白露時代」を築いた、などとある。
「赤とんぼ」の詩は、故郷から遠い北海道のトラピスト修道院の教師として在任中に、幼い日と母を偲(しの)んで書かれた。これに山田耕筰が曲を付けたのは昭和2年。以来、唄い継がれて、不滅の“日本の歌”になった。
町はずれの龍野公園には露風の銅像やレンガ壁の赤とんぼ歌碑があり、マンホールやバスに赤とんぼのマークが付き、朝昼夜にメロディが流れる。白鷺山の小径を歩いていると、露風の「ふるさとの 小野の木立に 笛の音の うるむ月夜や」の歌がふと浮かんだ。
故郷や母への思慕が色濃い露風の歌のせいか、龍野の町は初めてなのになぜか懐かしく感じられた。
緑の山と清い川と心にしみる歌に、誰の心の底にある郷愁が呼び覚まされるのだろう。
(旅行作家)
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