ウイルス騒動もそろそろ収まる気配を見せ始めた、ということで久々に参集した男たちの会。「なんだか公私ともにシャキッとしないよな」「これからの日本、大丈夫な気がしないよな」「やっぱりあいつに尊い話をしてもらおうよ」ということで、40代で大企業を退職し僧籍を得た古くからの友人に話をしてもらった。
「それではご指名ですので、七つの大切なことにまつわる話を二つ申し上げます」ということで乾杯前の静寂な時間が過ぎていく。
まずは、一つ目のお話。「わが国の繁栄をさらに確実なものにするために隣国を攻め滅ぼしてもいいのか」という国王の使者の問いに対し、釈尊は攻め滅ぼそうとする隣国の状況を七つ尋ねたという。
「その国はよく集会を営んでいるだろうか」
「人々はよく自分の為(な)すべきことを果たしているだろうか」
「人々は昔からの掟(おきて)をよく守って暮らしているだろうか」
「人々は古老を敬っているだろうか」
「その国は婦女子の保護を行っているだろうか」
「人々は祖先を崇敬しているだろうか」
「人々は聖人を尊んでいるだろうか」
それら七つの問いに対し使者が「おおむねよく行われているようです」と答えると、釈尊は「その国は繁栄し衰亡の恐れはおそらくないであろう」と答えた。そして使者がそのままを王様に伝えると、王様は隣国の征服を断念したというもの。これらの7項目を守れば衰亡に向かうことはないというので「七不退法」と名づけられているお話だ。
そして、二つ目のお話。「私たちももういい年なので、今年こそは人に喜ばれるように生きてゆきたいですね。釈尊の教えに誰にでもできる喜ばれる生き方が七つ示されています」ということで次の七つが披露された。
「和顔施(わげんせ)優しいまなざしやほほえみで周りを明るくする」
「愛語施(あいごせ)真心と思いやりを込めて語る」
「慈眼施(じげんせ)気配りと穏やかな眼差し」
「捨身施(しゃしんせ)全身で人のために汗を流す」
「心慮施(しんりょせ)思いやりと感謝の心で人に接する」
「床座施(しょうざせ)人に譲る優しい心を持つ」
「房舎施(ぼうじゃせ)人を差別しない心を持つ」
これらのことはお金や地位に関係なく誰にでも心掛けさえあればできることではないか。空気や水のように当たり前にあると思っているものほど尊い。人と人との関係でもお金を使うことなくできることは最も尊いということであった。
国のあり方は地域や企業のあり方にも通じる。あらためて他国から滅ぼされないような国家の在り方をもう一度考えてみることは決して無駄ではないと思う。また、自分自身のあり方として「七つの喜ばれる生き方」を一つでも現実のものとできるように心掛けられたらいいなと思う。まずは「捨身施」あたりからかな。
(EHS研究所会長)