いったん観光から話がそれるが、ここで路線バス事業の現実をお伝えしておきたい。
わが国の路線バス事業は、主に民間のバス事業者が地域独占的に事業免許を与えられて営業してきた。その地域(生活圏)において、国から路線バス事業の独占的な営業を認められる代わりに、地域の公共交通維持に一定の責任を持つ、という制度であった。
一方、多くの先進国では、公的セクター(自治体など)が地域交通を担うことが多い。
なぜ日本だけ民間事業者が中心なのかといえば、最も大きな理由は事業性の大きさである。アジア・モンスーン地帯に含まれ高温多湿気候の日本は、欧米に比べ土地生産性が大きく、狭い国土に多数の人が住んでいる(稲作と麦作の生産性の差と言い換えることもできる)。人口密度が大きければ、公共交通が事業(ビジネス)として成立しうる。
特に、戦後、進学率上昇や会社勤めの増加で通勤通学需要が急増する一方、鉄道インフラの整備が追い付かず、自家用車はまだ普及していなかったため、路線バスの輸送人員は年間100億人に達した。
地方の路線バス事業者は「地元の名士企業」となり、政治家との関係は深まった。
沿線で開発事業を進めることで輸送人員を増加させつつ、小売業(百貨店など)をはじめとする生活関連産業を沿線で展開して、沿線価値を向上させるとともにそれらの収益を取り込んでコングロマリット化した。
しかし、1980年代からは自家用車普及が進み、路線バス事業の収益は急激に悪化した。一方で、企業としては、公益的な事業で競争がないことから保守的な社風が定着していった。
かつては、「箱根山戦争」(1950~68年)に象徴されるように、事業者間の「縄張り争い」もあり、かつ観光への依存も大きかった。しかし、保守化が進む中で「地域の足を守る」という使命感が肥大化し、需要波動が大きく不安定な観光客への期待をなくしてしまったように見える。
(高速バスマーケティング研究所代表)