東北の観光振興、経済発展を目的に「東北観光推進機構」が産声をあげたのは2007年6月、観光立国推進基本法の施行年である。東北6県と新潟県の東日本7県が広域に手を携え、杜の都・仙台に拠点を構えた。
設立から4年を待たない11年3月、東日本大震災に見舞われた。未曽有の災害からの観光復興に、同機構が、いかに重要な役割を果たしたかは言うまでもない。「観光の力で、東北を元気に!」を合言葉に、JNTO日本政府観光局や東北運輸局、各県などと連携して力強く復興を推し進めた。
努力のかいがあり、新型コロナ前の19年、国内市場の延べ宿泊者数は過去最多の4087万人泊を記録。インバウンドは政府目標の150万人泊を1年前倒しで達成して、168万人泊を数えるに至った。
東北観光推進機構の紺野純一理事長は、「観光産業は裾野が広い。地元経済界の協力なくしては、観光は成り立たない」と語る。その言葉の通り、広域連携DMOとして「オール東北」体制の構築を目指した。各県知事がトップセールスで汗をかき、行政や観光団体、各企業などとの連携を深めた。データ解析などでマーケティングを強化するなど、DXへの移行も進んだ。
筆者は、母の里帰り出産で岩手・釜石生まれ。陸前高田高校出身の父は大学進学で上京し、釜石出身の母と東京に居を構えた。その生まれ故郷では、祖父らが津波で落命した。被災から10日後に現地に入るも、一家全滅で自らも生家を失った。
変わり果てたまちの姿をみて「私ができること――」を考えたとき、東北被災地への観光支援であると確信した。今ではライフワークになっている。
震災から半年後の同年9月、筆者はホテルメトロポリタン仙台で開催された内外ニュース仙台懇談会で演台に立ち、「観光新時代の幕開け―震災後の私たちに求められるものとは」と題して東北経済の復興に観光のチカラが欠かせないと訴えた。紺野氏と初めてお会いしたのが、そのときだった。
思いは一緒。東北の観光復興に寄り添うなか、復興庁の事業で意気投合したのが大津知士氏と久保美和子氏であった。被災地の観光復興に尽力する若い彼らに、明るい東北の未来を感じた。聞けば久保氏は、陸前高田出身で仙台暮らし。東北観光推進機構が2016年から始めた観光人材育成事業である「フェニックス塾」の卒塾生だ。
同塾の入塾条件は45歳以下。東北の観光・地域づくりを担う実務経験者たち。行政や運輸機関、宿泊・観光施設、DMO、旅行会社、金融機関、観光マーケティング・通信事業者など、多岐にわたる。
東北観光推進機構では、第5期中期計画(21年から5カ年)で、新たなブランド・コンセプト「Base!TOHOKU」を導入して長期滞在や旅行需要の平準化、旅行単価の増進をはかる。
震災から11年半が経過したが、観光復興はこれからというときにコロナが襲った。復興一括交付金に代わる財源確保も急がれる。地域の観光は担い手づくりが肝だ。東北人特有の粘り強さと若い力が、ポストコロナにおける新しい東北の観光を支えてくれるに違いない。
(淑徳大学 経営学部 観光経営学科 学部長・教授 千葉千枝子)