2020年12月に出版した「女将は見た 温泉旅館の表と裏」(文春文庫)は、「女将や旅館の裏側をのぞいてみる」というコンセプトで、一般の方にはあまり知られていない旅館の内情をつづりました。
いわば、「女将」「旅館」の概要を記した1冊。出版後は「あるようでなかった本」という感想が多く届き、おかげさまで好評でした。シリーズ化を意識し、現在、同じ版元の文藝春秋の雑誌「オール讀物」で「温泉女将の仕事術」を連載しています。
女将の仕事に注目した本連載では、「失敗から生まれた仕事術」「女将の旅館経営術」「人に『想い』を伝える」「女将が考えるマナー」といった4本柱を中心に、具体的な事例を挙げながら、毎回、女将の仕事の神髄を書いています。これもゆくゆくは書籍化したいと考えています。
コロナがまん延して以来、人との接触を避けなければならず、宿泊業の皆さんにとって「お客さまへのおもてなし」が思うようにできないことと推測しますが、取材からは、女将の皆さんがお客さまに心を尽くす姿勢をうかがい知ることができます。
例えば、夕食を並べる敷紙の全てに直筆でひと言添える女将がいます。「お料理を全部食べ終えてから、『あぁ~』って気づかれるお客さまもよくいらっしゃいますね」と前置きしながら、四季の表情をつづったり、土地ならではのちょっとした逸話も記すのだと教えてくれました。その手間を想像すると、物ぐさな私は気が遠くなりますが、持ち帰って、コレクターになるお客さんもいて、これによりリピーターになるそうですから、大きな広告費をかけるよりも着実に顧客をつかむ「ファンビジネス」のように感じます。
また大手航空会社の国際線の客室乗務員を勤めた経験がある若女将は、「『先端』はすべてそろえます。そうすると、お客さまには『丁寧に迎えてもらっている』というこちらの気持ちが伝わります」とのもてなしスキルを披露してもらいました。「先端」とは何でも、指先をそろえる、スリッパをそろえる、ウエアをそろえるのがコツなんだそうです。
社会の風潮をも左右するほど大きな影響力を持つSNSへの対応は、「ネットで批判されたことは、そのままにせず、○の理由と×の理由を書いて、廊下に掲示しています。そうしないと、社員が自信をなくしてしまいます。何が○で何が×なのか、判断基準を社員に伝えるいい機会です」と語る女将もいました。
社員のやる気モチベーションを保つために工夫する女将は、1日の最後のミーティングに社員を褒める時間を作るそうです。それも褒めるのは女将ではなく、同じ立場で働く従業員です。「仲間に認められることが一番士気が上がる」というのがポイントです。
この他、社員への心配りとして、「社員を辞めさせないコツは、家族同然に考える。『みんなで頑張ろう』と毎日声をかけることです。私は必ず『みんなで』という言葉を意識的に口にします」
「社員の誕生日には誕生会を開催。バレンタインにはチョコの贈り物は欠かしません。社員は家族ですから」とおっしゃっていました。
こうして連載執筆のための取材を続けていると、このユニークでオリジナルな具体例は、女将やオーナーの人柄を反映したものだと分かります。それは企業ではなし得ない独自の策であり、企業にはなりにくい家業の旅館がもたらした素晴らしさ。一族が血で継ぐ旅館の尊さを改めて思い知るのです。
女将が巧みとする「心遣い」「気働き」は、コロナ禍だからこそ社会に必要とされる。私はそのことをずっと伝え続けていきたいと思っています。
(温泉エッセイスト)